スナック研究会

サントリー文化財団研究助成 「日本の夜の公共圏」

このブログについて

 本ブログは、通称「スナック研究会」の活動についてのお知らせなどを行うものです。研究会の内容、メンバーやお問い合わせ先については、以下をご参照。

 スナック研究会では、以下のような研究成果物を刊行しています。 

日本の夜の公共圏:スナック研究序説

日本の夜の公共圏:スナック研究序説

 

  なお、本ブログは基本的に研究会代表の谷口功一(首都大学東京・教授)によって運営されています。

 

玉袋筋太郎『粋な男たち』

 玉袋筋太郎さんから半自伝的な著作『粋な男たち』をご恵贈頂き、早速拝読。 

粋な男たち (角川新書)

粋な男たち (角川新書)

 

  冒頭、やれ「自主規制」だ「コンプライアンス」だとグレーゾーンの許されない息苦しい世の中になったもんだと、ひとしきり嘆いたところで、

 オレ自身、玉袋筋太郎なんていうコンプライアンスの欠片もない芸名を持つ男だけどさ、・・・

 とブッ込んで来て、いきなり噴き出した・・・。

 

 以前、私じしんがNHKのラジオ番組に出演した際、特に意識もせず「スナック界の先達として玉袋筋太郎さんも・・・」と、さらっとフルネームを口にしたのだが、出演後、「よくNHKがフルネームの放送を許したね・・・」と何人もの知り合いから言われて、「あっ、そうか汗」と気づいたのだったが、たけし師匠から命名されたこの名前で、ひとかたならぬ苦労をして来たことも、この本を読んで改めて分かったのだった(そして、この名前に対する愛着も)。

 

 私は玉袋さんには2回しかお会いしたことが無いが、一度目は、私じしんが『日本の夜の公共圏 スナック研究序説』を出版した後、業界?の大先輩である玉袋さんのお店に一度はきちんと挨拶に行かないとならないなと思い、担当編集者と一緒に赤坂の「スナック玉ちゃん」にお邪魔した時だった。 

日本の夜の公共圏:スナック研究序説

日本の夜の公共圏:スナック研究序説

 

  その日は、何の予約も入れずに訪れたのだが、たまたまMXテレビの夜の番組(生放送)に玉袋さんが出演されていた日で、店内でその放送を見ていたら、番組終了後、「放送局からお店に来ます」となって、たまたま、お店でお会い出来たのだった。

 初対面の玉袋さんは、実に腰の低い気遣いに溢れた方で、こちらのほうが恐縮してしまうほどだったのをよく覚えている。

 

 二回目は、玉袋さんからのご招待で、「スナックナビ」のプレス向けのイベントに行った際だった(下記参照)。

 

【玉袋筋太郎の記者発表会で!】スナックナビ×全スナ連の日本最大級スナックポータルサイトが誕生! | スナックナビのブログ

 

 この時は、フロアの観客?として見ていただけなので、直にお話することはなかったが、プロの芸人としての場の仕切りと、とにかくトークの力(当意即妙のその場でのやりとり)が凄すぎて、しゃべりを生業にしている人間というのは、これほどまでにスゴイものなのかと舌を巻きつつも感銘を受けたのを良く覚えている。

 あ、そうそう、2回と書いたが、実はもう1回あって、渋谷の東京カルチャーカルチャーで開催された定期イベント「スナック玉ちゃん」にも行ったことがあったのだった。

 実際にゆっくりとお話させて頂いたのは1回だけだったのだが、私の中の玉袋さんの印象は、上にも書いた通り、「腰の低い、気遣いの人」であり、直に対面して話している時だけでなく、イベントの際に来ているスナックのママたちへの言葉のかけ方の端々にもそれは現れていた。厳しめのツッコミを入れながらも、そこには愛があるのである。

 

 今回この本を読んでわかったのは、このような印象を形づくるものの裏側に何があったのか、ということだった。その内容は、やや想像を超えたもので、僭越な言い方をするなら、これだけのコトがあったからこその今のこの人があるのか、と実に深い得心をしたのだった。詳しくは本書を紐解かれたい。

 タイトルにもなっている「粋な男たち」は世間的には決して立身出世栄達をしたような人びとではない、市井で慎ましくも、ちらりと「粋」をのぞかせる男たちの話であり、それらの人びとを胸に「粋」であろうとし続ける玉袋さんの矜持には、深く共感するものがあり、私じしんもそのような人間でありたいと思い続けていることとも強く共振する内容だった。

 

 以下は、一般向けの記述ではないので、読み飛ばして貰って結構だが、本書を読んで私が最初に思ったのは、「あぁ、これは高山(大毅)本の副読本、《接人》の実践書だ。」ということだった。 

  『日本の夜の公共圏』の第1章「スナックと「物のあはれを知る」説」の中に、その内容はコンパクトに分かりやすく描き出されているが、玉袋さんの「粋」のありようは、まさにココに描かれた「からごころ」を排した「まごころ」の世界なのである。

 

 長くスナックをはじめとする夜の街を飲み歩いていると様々なひとに出会うが、スナックを縁として、このような人を知ることが出来、本当に良かったなと思い、本書を閉じたのだった。

 

 蛇足だけど、私もナイター競輪好きで、夏になると50円の一般席でバンクの上に陣取り、オッサンたちの人生の涯てへと響き渡る魂の罵声を聴きながらビールを飲んで至福の時を過ごしています。

 

 

 

 

出雲宇宙と松江への帰還

 出雲縁結び空港への着陸態勢に入ると、宍道湖の上をすれすれに滑走する機上の自分が水鳥になったかのような錯覚をしそうになる。窓外には平坦な沃野と隆起した山地が誰かの手でフチどられたかのようにくっきりとした地形が広がり、これは何か大規模な作為のなせる風景なのではないかという疑いさえ持ってしまう。それほどに端正な、箱庭のような景色が目に飛び込んで来るのだ。
 数十年来、後述するある理由で、そこを訪れることを切望してきた松江でたまさかに講演の仕事が入ったため島根県を訪れたのだが、前日入りした私は先ずは出雲市に向かったのだった。
 出雲のスナック街は、出雲市駅から歩いて一分とかからない場所にある。その名を「代官町」という。

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 日曜の午前中に駅前の投宿先に荷物を預けた私は午前十一時のスナック街を歩き回った。代官町の特徴は、その店舗数もさることながら、小綺麗であるところだ。色々な地方のスナック街を歩きまわると、昔はかなり栄えていただろうが今は・・・という寂れすさんだ光景を目にすることも多いが、この街は廃墟化したものはほとんど無く、途中からゆるやかに蛇行する道なりに、みっしりとスナックが鈴なりに連なっている。

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 昼間歩きまわると、じっくりと看板や店構えを眺めることが出来るが、何故かこの街には入ってみたいと思わせる店が多い。名前や看板、店構えに特徴のあるものが多いのだ。

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 いつもの通り、一時間ちょっとじっくりとスナックたちを眺めまわし、スナック街への入り口近くにある実に味わいのある喫茶店で遅めのモーニングを食べ、午後は出雲大社詣でに費やした。以前、伊勢神宮にも行ったことがあったのだが、出雲大社は全く違った趣きで、個人的にはこちらのほうが神秘を感じた。

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 特に大社の近くの古代出雲歴史博物館は一見の価値がある。古代に存在したといわれる天を突くジグラッドのように巨大な階段状の社の復元模型や、出土した大量の銅鐸や銅剣の展示には度肝を抜かれるだろう。

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 最初に飛行機から見た宍道湖まわりの異常に端正な風景とも思い合わせ、ここはかつて宇宙人のようなものが何かをしに来た場所なのではないかという、やくたいもない思いを強く持ったのだった(分かる人には分かるかもしれないが、岩明均の『七夕の国』のようなアレなのである)。 

七夕の国(1) (ビッグコミックス)

七夕の国(1) (ビッグコミックス)

 

  私が出雲を訪れたのは、残念ながら日曜日だったので、夕食を独りで済ませた後に代官町に繰り出したものの、九割以上の店の看板の灯は消えていた。日曜でさえなければという思いもあったが、いつもの経験からするなら、こういう時こそ数少ない選択肢の中に良い出会いがあるものなのである。
 この日は、最初に三十年ほど営業している老舗スナックに入り、しばしカウンターの中の女性たちと歓談した。出雲と尼崎出身とのこと。しばらくして次の店へと思ったのだが、スナックの選択肢がほとんど無いので、日曜に開いている店でオススメのトコということで、更に奥まったところのあるフィリピンスナックへと行き着いたのだった。
 私はフィリピン系の店に入ると英語と片言のタガログ語以外は一切しゃべらず、歌も英語でしか歌わないが、この日もいつも通り気持ち良く英語で歌っていたら、もう一人だけ居たお客が、ノリノリになって私の歌に合わせて踊り狂い始めた。話してみると、彼はフィリピンスナック/パブめぐりの大ベテランだった。すっかり意気投合した我々は「マブハイ!(タガログ語で“乾杯”の意)」と杯を乾し、折角なのでと、もう別のスナックへと再び夜の巷に繰り出したのだった。
 次の店で彼とゆっくり話すと、フィリピンスナックでは少し言いにくそうにしていた仕事を教えてくれた。ある宗教の大幹部とのことだった(後日、彼の名前で検索するとココには書けない色々なことが本人の顔写真つきで出て来た)。彼がバリバリの一流企業の会社員から突如として入信するまでの話は実に面白かったが、ここではその詳細は省こう。日曜の夜のたまさかの出会いによる酒場での話なのだから。我々は深夜二時近くまで親しく楽しく飲み明かし、それぞれの宿泊先のホテルへと帰投した。
 この夜、私は宇宙人に誘拐された。酒は飲んでいたが、そう酔ったという感じもなく部屋に帰り、寝間着にきちんと着替えて床についたのだが、数時間後、わたしは胎児のようにまるまった姿勢で部屋の外の廊下で寝ていたのだった。宇宙人である。「これがアブダクションというやつか・・・」、私は戦慄した。目覚めた私は見慣れぬ意外な天井に心底慌てふためき、フロントへ裸足のまま行って、間違って部屋を閉め出されたむね告げ、何とかことなきを得た。一瞬、「大学教授、深夜のホテルを全裸で徘徊」という記事の見出しさえ脳内をかけめぐったが、服だけは残しておいてくれたようで、比較的親切なアブダクションだったようである。しかし、古代に大社を作らせたなにものかであることには間違い無い。宇宙である。

 

・・・・・・・

 

 翌朝、宇宙への余韻を残しつつも、講演のためJRで松江へと向かった。先に記した通り、私はとある縁で松江訪問を長らく切望していたのだが、それは一九七〇年の一二月に私の父が松江に一ヶ月住んでいたことがあるからだ。父は歯科医なのだが、当時は、山陰地方はおろか大阪にも歯学部(歯科大)が無かったので、山陰には九州大学の歯学部から歯科医を送り込んでいたらしく、それで松江に派遣され、一ヶ月のあいだ逗留したのだった。その時の話を私は子どもの頃から聞いており、いつか私も松江の地を踏んでみたいものだと思い続けていたのである。
 父の勤務先は松江市立病院。当時は市街地の灘町あたりにあった病院に勤務し、下宿はすぐ近くの寺町だったとのことである。ちなみに松江市立病院は現在では移転し、郊外にある。
 この父の短期赴任は、月給二〇~三〇万円と当時としてはかなりの高給だったので、毎晩、夜の街を飲み歩いたらしい。一九七〇年当時の大卒初任給が四万円くらいなので、当時の二〇~三〇万といえば、いまの価値だと少なくとも一〇〇~一五〇万円くらいか。大金である。
 父はスナックも飲み歩いたが、料亭などにも行っており、滞在中に先方の病院のエラいひとに一席設けられて料亭に招かれたら、料亭の女将が「あら、谷口先生」となり、先方は「何で知ってるんだ」ということになったという笑い話もあったらしい。放蕩の限りを尽くしていたわけである。
 そんなこんなで父は一ヶ月、松江に居たわけだが、最後に離任する時には、松江の皆さんからココで開業してくれと誘われ、松江駅までスナックのママたちなどが何人も別れを惜しんで見送りに来たくれたとのことだった。そのお店のひとたちとは、その後も年賀状のやり取りがあったらしい。父のあとにも、九大から送り込まれた歯科医は何人も居て、そのまま松江で開業したひともいるとのことだが、父ほど夜の街で景気良く呑んだひとは、その後はそうは居なかったので、あとに続いたひとは皆、「なんでもっと谷口先生のように呑まないのか」と言われ困り果てた、という話だった。
 ちなみに一〇年前、とても懐かしくなり、母と二人で四〇数年ぶりに松江に行ってみたとのことだった。父は実家が九州で開業していたので帰らなければならなかったけれど、もし松江で開業していたらと思うと不思議な気持ちになる。私も松江出身だったかもしれない(いや、それ以前にこの世に居ないか)。このような縁のある松江だったので、ずっと来てみたいと思っていたし、そこに来てスナックの話をするということについて深甚な縁を感じたのである。

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 講演はいつも通りスムーズに終わったのだが、終了後、聴衆のお一人から「夜の松江の街をご一緒しないか」とお声がけ頂いた。あとで知るが地元でも有名な会社の経営者で、立志伝中の人物であると共に、松江の夜の街の「帝王」でもあった。
 地の料理を出す居酒屋を皮切りに、長い付き合いのあるスナック、料亭の倉を改造した素晴らしいカフェバー、老舗の寿司屋などにお連れ頂いた。実に遊び慣れた方で、感服すること、しきりであった。最後は、宍道湖にかかる大橋から美しい松江の夜景を堪能し、タクシーに乗った彼を見送った。
 しかる後、いつもの単独行となり、松江の夜の街を改めて彷徨ったのだった。松江の繁華街は、大きく二つあり、一つは駅からすぐの伊勢宮町。これは伊勢神宮の伊勢から取られた名とのこと。もう一つは、官庁街・城郭界隈の東本町。昼間は「ひがしほんまち」と読まれるが、夜には「とうほんちょう」と名前を変えると聞いた。神楽坂の昼夜の通行規制のようで、すこぶる面白い。二軒ほどラウンジとスナックをまわり、それぞれに実に楽しく呑んで、深夜、ホテルに帰投し寝たが、今回は数十年前の父の善行のお蔭様か、朝までベッドでぐっすり寝たのだった。

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・・・・・・

 なお後日譚ではあるが、東京に戻って、松江の話と共に出雲での出来事を同僚の河野有理先生(スナ研メンバー)に話したら、「モルダー、あなたは疲れているのよ」と言われた。出雲・松江、また訪れたい地である。

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※ 蛇足ではあるが、以下、備忘を兼ねて。--松江に関しては、芥川龍之介が、親友で後に法哲学者となる恒藤恭の故郷である松江を訪れた際の文章が残されている。「松江印象記」という短い文章で以下の青空文庫からも読めるものだが、有名な「松江はほとんど、海を除いて「あらゆる水」を持っている。」という際だって素晴らしい下り以外は、かなりの厨二病的文章であり、あんな大作家でも若い頃はこんな厨二病テイストあふれる文章を書いていたのか、とほっとするので、暇があったらご覧じられたい。

■ 芥川龍之介 松江印象記

室蘭スナック行~北方大遠征(前篇)

 昨年(2017年)の夏、諸般の事情があって青森から小樽まで仕事で行くことがあったのだが、せっかくなので下北半島を北上し切って、大間の港から海路で函館まで行き、室蘭を経由して鉄路で小樽まで向かうことがあった。

 だいぶん時間が経ってしまったが、記憶のあるうちに備忘を兼ねてスナック紀行をまとめておく次第である。

 2017年8月、大湊線に乗車し、先ずは下北駅まで向かった。大間の港までは、下北駅から出ている下北交通のバスに乗り、1時間ほどだっただろうか。これまで、下北駅からバスなどで、むつ市の市街地や恐山までは行ったことがあったのだが、まさかり形の半島の「刃」の部分を縦断したことは無かった。

 途中、大畑停留所で休憩停車があったが、そこにはかつて存在した大畑線の列車を動態保存しており、運転日にあたっていたため、短い区間を往復する在りし日の大畑線を目にすることが出来たのだった。詳細は以下を参照されたいが、鉄道趣味のあるひとには中々良い場所かもしれない。

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大畑線キハ85動態保存会 | 国鉄型キハ22を動態保存しております。

 

 山道を縫ってゆくと、ある時ふいに海原が目に飛び込んで来る。陸奥湾とは違った明るい海の景色である。 

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 しばらく行くと、大間の港が姿を現す。小さなフェリー乗り場だが、お盆明けにも関わらず、多くのひとが乗船を待っていた。

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 大間から函館までの海路は爽快のひと言に尽きる。どこかの街に海から入るという、この感覚、他の交通手段では決して感じることの出来ない旅の醍醐味でさえある。

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 函館の港から函館駅まではタクシーでもすぐだった。下北駅も函館駅も、いずれも始終点の車止めのある駅で、終着点から始発点へという感じが何とも言えない。函館駅からは、一路、室蘭を目指した。途中、長万部を通過し、「ああ、ココが長万部なのか」と何となしに感慨深いものがあった。

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 特急が停車するのは東室蘭駅で、われわれがすぐに思い浮かぶだろう室蘭駅は、地図上の沖へと迫り出した半島部にあり、そこが大工業地帯の旧い市街を形成しているのだった。この室蘭行は、仕事の前泊で完全に自腹なのだが、函館-小樽間で、どこに泊まろうかと考えあぐねたあげく、以下の地形を地図で目にした際、「あ、ココしかないな」と思ったのだった。分かる人には分かってもらえるのではないか、と思う。

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 東室蘭駅のすぐ近くに宿を取った私は、旅装を解いて少し休んでから、遅めの盆の祭りをしている駅前の人混みを通り過ぎ、先ずは東室蘭駅の近くの盛り場を少し歩いた。住所的には川向こうの中島町という場所が盛り場になる。あいにく日曜だったため、ほとんどの店は休みだったのだが。

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 その後、再び、東室蘭駅に戻って電車に乗り、恐ろしいほど味のある車輌で、室蘭本線を一路、室蘭駅へと向かった。 

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 室蘭駅の手前にある母恋(ぼこい)駅は、たまらない旅愁をそそる駅名だった。日曜だったこともあり、到着して駅舎を出るとわたし以外、誰も歩いて居なかった。少し歩くと盛り場があり、店はほとんど閉まっていたが、老舗らしい味わいのある外観の居酒屋に入り、独りで食事をした。

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 この辺りでは、ヤキトリというと豚串であり、それに洋ガラシをつけて食べるのだった。日曜の夜の店内は客はそれなりには居るものの静かで、テレビでは大河『直虎』がやっており、小野但馬守政次が磔に処されているのを眺めながら、わたしはヤキトリなどをサッポロビール(ココは北海道)で流し込んだのだった。

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 いつも通り、独りでスナックの扉を開け中に入った。「じぱんぐ」という老舗である。かつての隆盛を極めて時代について実に色々な話を聞いた。大工業都市の興隆と衰退。考えてみれば、私が通っていた中高のあった大分市新日鉄などを中心とする巨大工業都市であり、その新日鉄つながりで、この室蘭とも縁深い場所だったのだ。遠い北の地で、思わぬつながりを再確認した夜だった。一時間少し、他の客も居なかったので、70代のママと二人だけでよもやま話をした。

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 二軒目は「りつ子」。今度は誰かお客さんとも話したいと思い、外までカラオケの音が漏れている店へ入った。案の定、隣に座ったお客さんと仲良くなり酒を酌み交わしながら、談笑することとなった。新日鉄などの関連で長崎から単身赴任している人だったと記憶している。

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 しかる後、上記の単身赴任氏と連れだって午前一時過ぎに三軒目に入り、その店のママも交えて飲み交わし、室蘭の夜は更けていったのだった(店名失念。あとで調べる)。既に記した通り、日曜だったこともあり、東室蘭室蘭いずれの夜の街も、その本来の姿を目にすることは出来なかったわけだが、静かながらも、味わい深い街だった。

会津若松スナック行

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 昨年末、講演の仕事で、生まれて初めて会津若松を訪れた。主催は、会津若松商工会議所・観光旅客運送部会と県社交飲食業生活衛生同業組合会津支部のレディース部。

 地元『福島民報』による以下の記事にもある通り、会津若松市内のスナックのママたちが夜の街の活性化をはかって立ち上げた部会による試みのひとつとして、お招き頂いたのだった。大河ドラマ「八重の桜」を観て以来、一度は行ってみたいと思っていた土地だった。

■ 日本一のスナック街に 若松のママ「レディース部会」設立

 夜の繁華街を活気づけようと会津若松市のスナックのママたちが動きだした。県社交飲食業生活衛生同業組合会津支部にレディース部会を設立した。店の雰囲気やサービスを向上させ、「日本一のスナックの街」を目指す。
 11月下旬、市内のスナックに出勤前のママが顔をそろえた。月1回の定例会だ。飲み物を注文し、つまみを口にする。一般客の目線で、訪問機会の少ない他店の装飾やスタッフの動き、サービスを見渡す。参考になる取り組みは自分の店に取り入れる。
 情報交換も活発だ。集まったママのほとんどが10年以上のキャリアを持ち、これまでの経験を踏まえて、サービス向上や経営戦略などに知恵を出し合う。「市職員が今以上に飲み歩くように市長に要望したらどうか」などの声も上がる。
 定例会の会場は輪番制になっている。約1時間の会合が終わると、飲食代を払い、店を後にする。開催した店は貴重な収入を得る仕組みになっている。
 レディース部会は全国的に珍しく、八月に誕生した。来店者数が伸び悩む現状に危機感を抱いた有志が「夜の街を元気にするためにはスナックの活性化が欠かせない。各店のレベルを向上させよう」と働き掛けたのがきっかけだった。組合に加盟するスナック約130店のうち、12店で部会を始動した。
 部会長の増田美起子さん(スナックみき)は「夜の地域活性化は一店だけが頑張っても限界がある。みんなで共通認識を持ちながら活動していきたい」と話す。今後は繁華街の清掃作業など社会貢献活動も検討していく。支部長の高野豊さん(ゑびす亭)は「ママたちの熱意が今後の若松の夜を盛り上げるはずだ」と期待している。
 会員店は次の通り。かっこ内は営業者。
 アゲイン(小林未花)香おる(浅川美子)胡遊(豊田満子)桜妓(佐藤友美)更沙(高橋泉)スカーレット(山下真理)なかがわ(中川英子)HANA・HANA(森和枝)パピヨン(茂木真美)heaven(渡部美幸)みき(増田美起子)魅羽(佐藤美和子)

福島民報・2017/12/03]

  

 東京からは、新幹線でいったん郡山まで出て、そこから在来線の磐越西線に乗り換えることとなる。山あいの線路を走り、猪苗代湖にさしかかるあたりから眼前にひらける水田の大海原の向こうに鎮座する磐梯山の威容は、一見の価値あるものだった。歌詞などでしか知らなかった会津磐梯山だったが、そうかこれがそうなのか、歌にもなろうという名峰で、さぞ地元の人びとの心の拠り所になっているのだろうなと思ったのだった。田んぼの海はどこまでも続くが、1時間ほどで突然、会津若松の街並みが見えて来る。田の海に浮かぶ街だった。

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 会津若松駅につくと駅舎の中に「戊辰150年」と刷られたポスターを目にした。そう、ここでは「維新」ではなく「戊辰」なのだ。

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 講演会場は、会津若松駅から少し離れた馬場町・栄町の辺りだった。会場至近の当日の宿にチェックインし、講演の開始までしばらく時間があったので盛り場を歩きめぐったが、人口規模(12万強)からすると、かなり大きな歓楽街を擁しているという印象を持ったのだった。地元の方によるなら(恐らく人口あたりということだと思うのだが)バブル期くらいまでは全国で最も飲食店が多い場所だったらしい。

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 現時点での会津若松市内のスナックの軒数は174軒。総軒数・人口あたりの軒数に関しては、全市区町村中で以下のようなランキングになっている。かなりのスナックエリート都市である。

会津若松市(総軒数):71位/1896
会津若松市(対人口):77位/1896

 福島県自体もスナックが多く、県内の他の都市も中々の数のスナックを擁していることが分かるだろう(以下、核都市の数字は「総軒数/対人口」の順位)

福島県(総軒数):11位/47
福島県(対人口):17位/47

いわき市:21位/237位
郡山市 :41位/392位
福島市 :47位/350位
相馬市 :190位/17位

 

 講演はいつものように私が一時間ほど話をした後に、先述の商工会議所・観光旅客運送部会長の正野定見さん(実は会津駅長さん!)と、レディース部会長の増田美起子さん(スナックみき)との鼎談を三〇分ほど行った。隣に座られた増田さんが、びっしりと書き込みのある手書きのノートを見ながら話されていたが、先の記事にあったような経緯で催された会であったので、さぞかし前もって念入りに準備されたのであろうと思い、誠に頭の下がる思いがしたのだった。

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 当日は、実際に地元でスナックを経営されている方も多くいらっしゃっていたので、呑みに出るひとも少なくなりつつある地元の街で、どのようにスナックを中心に夜の街を盛り上げてゆくことが出来るか、といったことが議論された。

 地方で講演をするたびにいつも思うのだが、私にとっては数ある講演のひとつであっても、手弁当で主催の労をとっている方たちにとっては、日常から離れた、たまさかの大切な会であるわけで、その点、こちらもその労に報いることが出来るよう、ささやかなりとも出来る限りのことをしたいものだと改めて思った。

 講演会が終わった後は、参加者の方たちとの懇親会を経て、増田レディース部会長のお導きで、部会メンバーの方たちのお店を5軒、ご挨拶も兼ねて、はしごさせて頂いたのだった。さすがの私もひと晩で連続して一気に5軒を呑みめぐるというのは、そうそう無いことなので、最後のほうは、ややヘロヘロになってしまったのだが、こうして続けて色々なスナックを見てまわると、本当に一軒として同じ店はないのだな、ということをつくづく思い知るのだった。

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 最後は増田さんご自身が経営される「スナックみき」にお邪魔したが、このお店は実に綺麗なお店で、入り口で靴を脱いでスリッパに履き替えて入るという私にとっては初めての形態のスナックだった。寒い地方なので、絨毯の敷かれた店内は暖かく、これはイイなと思った次第。店内には、「あぁ俺はいま会津で呑んでいるのだな」と改めて思い起こさせるものも置かれていた。「ならぬことはならぬのです」。

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 今回の会津行で「会津の三泣き」という言葉を初めて知ったが、それは以下のような意味らしい。

会津人の性格を表す言葉があります。「会津に来たときはその閉鎖的な人間関係に泣き、なじんでくると人情の深さに泣き、去るときは会津人の人情が忘れ難く泣く」というもので、会津人の気質がよく表されています。会津に来られると、はじめはとっつきにくい印象を会津の人に対してお持ちになるかもしれません。でも、会津で暮らしていくうちに会津人のあたたかさに触れることができるはずです。(会津市役所サイトより)

 たまさか講演のご依頼を頂き、ひと晩だけの滞在ではあったが、この「三泣き」という言葉、わたしには良く分かるような気がしたのだった。

 

 以上。

 

北区「十条」訪問記

 2018年2月1日、北区上十条のスナック「ルーエ」にお邪魔してきた。最寄り駅は、埼京線十条駅東京商工会議所関係の仕事でご案内頂いたのだが、とても印象に残ったので、以下、備忘も兼ねて。

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 今回は北区にまつわる仕事だったので、事前に北区についても少しだけ本を読んだり地図を見たりして予習してから行った。

 最近、『孤独のグルメ』や清野とおる氏のマンガ『東京都北区赤羽』でフィーチャーされ、一躍、全国区で注目を集めるようになった赤羽=北区だが、今回は埼京線のほうの十条のスナックにお邪魔した。

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 地元の方の話で興味深かったのは、赤羽はテレビなどで有名になって「観光客」が増えすぎ、昔から馴染みの店などに地元のひとが行きにくくなってしまったという話だった。なるほど。

 地元の方のお話を聞く限り、流動性の高い京浜東北沿線に比べ、埼京線沿いの十条などは、昔ながらの住民も多い落ち着いたエリアとのこと。実際、わたし自身も十条に行くのは初めてだったが、とても落ち着いた雰囲気の街だな、と感じた。

 スナ研メンバーの苅部先生が北区ご出身なので、以下のような話も聞いたが、なるほどそういうことか、と。

十条周辺は戦災であまり焼けなかったのと、大地主が土地を管理しているせいで、一軒家(借地)で長く住んでいる家族が、比較的に多い気がします。同じ北区でも京浜東北線の東側だと、もっと流動的だと思う。

 当日は十条駅で待ち合わせした後、スナックが開くまで少し時間があったので、夕食を取りながら軽く打合せしたのだが、こんな店が自分の家の近くにもあったらなというくらい良い定食屋さんなどもあった(写真の「三忠食堂」。この牡蠣フライ定食が740円は、お値打ちではないかろうか)。

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 さて肝心のスナックだが、店名は「ルーエ」。1950年代から三代にわたって営業されているとのことで、初期は米兵相手のバーだったとのこと。今回来るまで恥ずかしながら知らなかったのだが、この地域には、かつて米軍基地があり、ベトナム戦争時の1968年に王子野戦病院設置反対運動なども発生している。

www.youtube.com

 この当時は、現在のようなスナックとしてではなく、米兵相手のバーとして営業し、10名ほどのホステスさんも使い繁盛していたとのこと。お店に来ていた地元の常連さんのお話によるなら、当時は外人さん(米兵)が集まるちょっと敷居の高い憧れのお店で、地元のひとたちも、少しオシャレして思い切ってゆくお店だったとのことだった。当時はジュークボックスを置き、カウンターの中ではカクテルをつくり、キャッシュオンデリバリーで銅板のカウンターの上を、すーーーっとグラスを滑らせるような洒落た店だったらしい。

 その後、深夜営業の時間規制の問題などもあって、上記のような風俗営業店としての届けを出した形態ではなく、現在のような深夜酒類等提供店(スナック)としての営業に移り変わっていったとのこと。

 現在は、近くの自衛隊の十条駐屯地からのお客さんも多いとのことで、店内にもそれをしのばせる幾つかの飾りものなども見られた。

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 以上のような経緯から、十条界隈は、ある種の軍都としての色彩を持った街なのだが、店名の「ルーエ」はドイツ語の「Ruhe」から来ているとのことで、お店の方は初期に経営していた伯父さんから「止まり木」を意味する言葉と聞いていたと仰っていたが、「Ruhe」は「平和(静寂)」などを意味する単語であるところ、土地の来歴に鑑みるに、なかなかに趣深い店名だなと思った次第である。

 当日は、ルーエでもご一緒していた李さんにご案内頂き、もう一軒、「キャッスル」さんというスナックにもお邪魔したのだが、この店もとても良いお店で、マスターとママから色々なお話を伺うことが出来たのだった。しかし、このお店、ボックス席だけでカウンターが無く、実はわたし自身、カウンターのないスナックというのは初めて見たのだった。

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 この日は地元の方々とのお話の中で、かつて王子に存在していた三業地の話や、かつて殷賑を極めた所謂「NK流」が元々は赤羽から追い出されて西川口へと行き、その後、蕨、大宮、越谷と流れゆき、分岐して草加、松原団地と散っているという話は、大変滋味深かった。地元の人ならではの定点観測。

※追記。以下、スナ研の井田太郎先生から。

王子は滝野川のもみじ、飛鳥山のさくらから発展して三業地になってる。お稲荷さんと郊外の遊楽地からの進化。玉子焼きの扇屋とかおいしいわいな。

 しかし、西東京に住んでいると分からなかったのだが、北区のこの界隈の人びとにとっては大宮なんかは本当に近所という感覚のようだった。東北への新幹線も大宮からの乗車が当たり前なので、西東京民(東京左半分)には分からない、この北区を起点とし、川口・蕨などの埼玉エリアを経由して東北路へと続いてゆく感覚というのは知ってみて実に新鮮だった。東北への起点としてのノース・エンド・オブ・トーキョーという感じ。

  実際に訪れて地元のひとの話を聞かないと分からない「空間感覚」というのがあるよな、とも。

 蛇足ではあるが、1896市区町村中で、北区のスナックの総軒数171位、人口あたりは1029位。23区内だけで比較すると、北区は総軒数で15位、人口あたりで12位。

 北区の総軒数は2018年2月1日時点で、ちょうど100軒。分布は以下の通りで、やはり赤羽が最大で、十条地域は中里と伍してそれに次ぐ感じ。

 都内の軒数などについては、昼夜間人口比率との突合も必要なのだが、これに関しては今後の課題、ということで。ちなみに北区の昼夜間人口比率は95.8である(参考までにお隣の足立区は89.1、中央区は493.6)。

 

「北区内のスナック分布」

赤羽 (39)
中里 (11)
上十条(8)
東十条(6)
豊島 (6)
王子 (6)
滝野川(4)
東田端(3)
西ケ原(2)
中十条(2)
田端新町(2)
十条仲原(2)
昭和町(2)
上中里(2)
赤羽南(2)
田端 (1)
志茂 (1)
赤羽北(1)

 

 最後になるが、講演などでは、いつも言っている通り、スナックは地域コミュニティへと入り込ませてくれる、いつもウェルカムで開いているドアだと改めて思った次第。これまで余り縁の無かった北区(十条)に親近感を持つようになった。

 

以上。

 

追記余談。十条の駅前にはクルド料理の店もあった。いずれ川口・蕨とのつながりもあるのだなと感慨深かった。

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上記については、twitterでも呟いたところ、以下のようなコメントも頂いた。猫の泉さん以外にも、お二人、行かれたことのある方からもコメントを頂き、ちょっと驚いた。一度行ってみたいものである。 

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「おはよう日本」スナック特集

 12月12日(火)7時からの「おはよう日本」でスナック特集が放映されました。取材協力をして少しだけ登場したこともあるので、以下に簡単に内容紹介と感想などを。


 番組内容は上記の公式サイトに掲載された通りなのですが、やはり「介護スナック」の件が、とても印象に残りました。

 取材に来られた記者さんからも話には聞いていたのですが、このスナックは、もともと介護施設などを経営されている方が運営しているもので、スナックの従業員のひとたちも介護士の資格を持っているそうです。

 また、この「介護スナック」という名称は商標登録されており、高齢者を狙って食い物にするような形態での介護スナックを出させないようにしている、とも聞きました。番組で登場した「竜宮城」は横須賀にありますが、他の地域からノウハウを教えてもらいに来て、実際に開業しているお店も既にあるとのことです。志の高さに驚きました(スゴイ!)。

 ネットで番組への感想を見てみたところ、介護スナックに対しては賛否両論があるようで、「ディストピア感が半端ない」とか「ここまでやる必要があるのか・・・」といった意見も目にしましたが、実際に利用された方の感想などを見ると、今後さらに高齢化社会が進展する中で、本当に必要とされるものとなってゆくのではないか、と思いました。

 「竜宮城」の詳細については、利用者の方の声も含めて以下の記事の中によくまとまっていると思います。

 

 

 番組では、この他に五反田で「つながり」を求めて日替わりママがカウンターに立つスナックが紹介されていましたが、これは以前、三浦展さんが以下の記事で紹介されていたもの、そのものだなと思いました。これは、とても良い記事なので、改めて貼っておきます。特に以下の引用の下りがグっと来ました。

「街に、常連の店が2、3軒あるということは、その街に住んでいる理由があるということだと思うんです。会社から帰ってきて、ただ寝て、また会社に行くだけの街ではつまらない。その人が街に住んでいる理由がない。私自身も店に立つことで、この街にいる理由がある。街の中で自分が承認される場所をみんな欲しているんじゃないかな。そういう意味で、私はママをしながら、コミュニティの勉強をしているのだと思っている。本業もそういうことを考えることが多い仕事なので」 


 以上のような形で、高齢者と若者という2つのラインから新しい形のスナックを紹介した番組だったわけですが、10数分という短い枠の中に分かりやすく話をまとめていて、良い番組だったと思います。

 

 なお、番組では、スナック研究会と『日本の夜の公共圏』もスナックの歴史や社会的役割との関係で紹介されました。 

日本の夜の公共圏:スナック研究序説

日本の夜の公共圏:スナック研究序説

 

 

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 余談ですが、以下の写真は、青森県三沢市のスナック街です。

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 なお、途中ちょっとだけスナック研究会の写真も登場しますが、個人的に最もツボにはまったのは、以下の場面でした。

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 スナック研究会で、わたしがインドネシア出張の際に買って来たバティックとペチ(peci)という正装用の帽子をかぶった伊藤正次先生(日本行政学の至宝・・・)が真ん中になって皆で笑ってる写真ですが、この映像をみたインドネシア関連の研究者から「ジャワのキアイ(土着のイスラーム指導者)感が半端ないです・・・」とのご感想を頂きました(腹を抱えて笑っている)。

 

 今回の取材は、この番組が放映される前の以下の記事への協力も含め、色々なやり取りをさせて頂きましたが、とても誠実に対応して頂け、気持ち良く取材協力させて頂きましたし、わたし自身も記者さんから取材で知ったスナック関連の話などを教えて頂き、とても勉強になりました。

 


 番組でも紹介された通り、スナックが出来たのは、先のオリンピックが開催された1964年(昭和39年)。次回2020年のオリンピックに向けて、スナック全体が盛り上がるお手伝いを更に続けてゆければと思います。

 

 

テレビ取材への苦言(NHK・クローズアップ現代+)

 本日、NHKの「クローズアップ現代+」から以下のような取材依頼のメールが大学の事務経由で転送されて来ました。武士の情けでディレクターの名前は伏せておきますけど、いい加減にしてね、という。

 

ーーー以下、転載。

 

 首都大学 都市教養学部
 教授 谷口功一様


 初めまして、私はNHKの「クローズアップ現代+」という番組ディレクターをしているXと申します。
 まだ企画の段階ですが、いま“場末のスナック”について取材を進めています。というのも、昨今の新進気鋭の実業家やクリエイター達は、ビジネスのヒントととして、お酒やおつまみがあまり美味しくないにも関わらず足を運んでしまう場末のスナックの魅力に迫ろうという動きがチラホラと散見されます。中には、酔い潰れてしまうママさんの代わりに常連客が新規客の対応をするケースは、ある意味サービス過剰主義の現場ではあり得ない、客と店側のインタラクティブな関係性を見いだす人も現れています。
 そんな、ビジネスの根底を覆す力を持つスナックの魅力を、ビジネスや文化的視線で取り上げる事が出来ないかと思い、研究グループを立ち上げていらっしゃる谷口様に智恵をお借りしたくご連絡した次第です。
 例えばですが、来週の頭などご挨拶も兼ねて、谷口様のもとにお伺いさせて頂くことは出来ますでしょうか?
 時間は谷口様のお手すきな時間で構いません。忙しい中、急な問い合わせになり失礼致しますが、何卒よろしくお願い致します。

 

---以上、転載。

  

 まずさあ、あのね、ウチの大学の名前は「首都大学東京」なの。馴染みがなくて申し訳ないんだけど、依頼する相手の所属先名称を初手から間違えるとかスゴイよね。

 その上でだけど、スナックというのは「お酒やおつまみがあまり美味しくないにも関わらず足を運んでしまう場末」なのですか、そうですか。そんな場末に「新進気鋭の実業家やクリエイター達」が「ビジネスのヒント」を求めて通っちゃう、と、ほーそうですか、へーなるほどお。んでもって「ビジネスや文化的視線」でございますか、ほへー高尚ですね。

 

 『日本の夜の公共圏 スナック研究序説』の最後のほうで、私は以下のように書いています。

「敢えて「学術的」ということを強調したのは、スナックを含む水商売を軽く見る向きへの私の中の反発心があり、「どうだスナックというのは、こんな立派な研究の対象たりうるものなのだ」と誇って示してやりたいというのが私の本音にある。世の中には水商売を軽く見る手合いもいるが、そもそも、水商売はバカでもできるような仕事ではないのである。一生懸命、真面目に日々の営業をしている夜の街のママやマスターたちに、わが国が誇る独自の文化の担い手として、誇らかな自信を持ち元気になって欲しい、というのが本書の隠されたメッセージでもある[214頁]」

 実業家様とかクリエイター様とかが、どんだけおエラいのか私のような学者の端くれにはよーワカランので、すいませんなのですが、サブカル的に見下した形でスナックを消費しようという態度は、上に引用した部分とつきあわせて考えてみるとどういうことになるのか、よく考えてからメールは送ろうね、と思った次第です。私からの返信は以下の通りですので、このエントリーも含めてお返事とかは一切、不要ですので。

 

---以下、転載。

 

 谷口です。以下、転送で送られて来ましたが、協力しません。

 スナックを「場末」の「お酒やおつまみがあまり美味しくない」場所と、初手から決めつける態度、非常に不快です。見下してますね。

 二度と連絡しないように。

 

---以上、転載。

 

 NHKからの取材依頼などで揉めるのは、これが初めてではなく(クロ現は実は二回目~)、もう数え切れないくらい不快なことがあったので、よほどの場合でない限り最近は基本的にメールが来ても無視している(これは民放も同じ)のですが、今回の件は、本当に許し難いものを感じ、また、このような態度でスナックに関する番組を作られたら、それを見て傷つくひとも出るだろうと思ったので、敢えて書きました。

 テレビの製作現場が、相当に厳しい労働環境で、番組が出来上がるまでの工程も相当に詰まっているなど、作り手も過酷な環境に置かれてるのは知ってますけど、だからと言って、こんなことがまかり通ると思ってたら、大間違いなのです。

 これまで数え切れないくらいテレビ取材の依頼などで死ぬほど不愉快な目に遭っているので、基本的にテレビに対しては激しい嫌悪感しか持ってないのですが、改めて今回、いい加減にしてくれねえかな、と思った次第です。

 これをお読みを方には老婆心ながらの助言ですが、テレビについては、本当に取材依頼とか来ても無視するのが一番です。なぜ、そうなのかは、既にボロクソに書いているものがあるので、機会があれば別の所ででも投下します。あの人らは「テレビに出してやるんだから文句いうなよ」というのが基本ですから。知るかっ、う゛ぉけ!なのでございます。

 

追記:ひとしきり怒り狂ってたのが落ちついたので、なんでこんなに怒ってんのか少しだけ説明しておくと、最近、スナックを経営している方たちやその関連事業をやられている方たちの前でお話させて頂く機会が増えているのです。そこでスナックの社会的意義について話すと、みなさん本当に共感して下さり、場合によっては、「よくぞ言ってくれた」と涙ぐむ方さえいます。長年まじめに営業して来られた方たちが、たくさん居るのを私自身が改めて思い知る中での、上記のようなメールだったわけで、そりゃ怒るわな、という話なのです。

 

追記2:上のような返信したワケですけど、デフォルトで何の返事も無いだろうと思います。これまでも、ずっとそうだったので。テレビってスゴイでしょ?

 

追記3:すいません、返信ありました。謝罪されており、中身も、わりかしマトモだったかも。でも、じゃあ何で最初から、そういうメールを送らないの?という話なのです。幾ら後から真摯に謝られても最初にあんなメール送って来られたら、こう反応するしかないのですよ。私からは再度返信はしませんし、もう放っておいて下さい、ホントお願いします。

 

追記4:朝起きたらエラいことになってたので、最後の追記。

 

 良い機会なので、これまでテレビから取材依頼を受けた際にあった実に色々な不愉快なことも含め、以下、記し留めておきます。

 今回の件について、「そんなに怒らなくても」というご助言も頂いたのですが、いや、正味の話、今回だけのことで怒ってるわけじゃなくて、下記のような諸々の蓄積の果てにこうなっているのです。そもそも、クローズアップ現代で不快な目に遭うの自体が、2回目なんですよ・・・。私だって1回こんなことがあったからって即キレるワケではないのです。

 さて、スナック研究会を始めて以来、本当に色々な依頼がテレビから来てるけど、基本的にメールの内容がいつもスゴイです。

 だいたい、収録日がいついつなので急いでいます!的な内容なんだけど、そんな君らの都合とか俺は知らんがな、なのですよ(明日とか明後日なんやで)。面識のない他人にお願いごとする時に、こっちの都合で急いでるんで!とか言って来るやつとか普通の社会で居ます?

 あとは、都合がつかないなどとお断りのメールをしたら、ほぼ100パーでそれへの返信はありません。「ちっ、使えねえな、次イコ~」ということなんでしょうが、あのねえ、という。

 書名も名前もクレジット出来ないし、謝礼もないのですが宜しくお願いします!とか言って来るのも結構いるんだけど、アタマ大丈夫?という感想しかないです。なに言ってんの、君は? 追いはぎか何かですか?という。

 これはテレビに限らないんだけど、ご著書まだ読んでないので内容を教えて下さい!とかいうのもナチュラルにありますね。すげえこと言うね、君は・・・。知人の編集者からよく聞く話では、お前んトコの本を番組で取り上げようかと思ってんで、まだ読んでないけど、とりあえず本を送れとかいうのも、よくあるようです。出版社側は、紹介されれば助かるので、こういう無体無礼な要求にも応えてますが、ホントは困惑しつつ怒ってるわけです。

 一番すごいのは、「テレビに出れるんですよ!なぜ断るんですか!」というの。コレは私の知人・友人でもホントに言われたことのある人が結構いて、マジかあ、気が狂ってるなあ、と思いました。本気で「テレビに出してやるんだから文句言うな」と思ってるようです(白目。 

 最初の頃は、真面目に対応してたんですが、ある時、本格的にこっちも限界に達したので、よほどのことが無い限りは、以降は無視しているのが現状です。

 とまあ、こんな感じになってるわけですが、今後テレビはどうなって行くのでしょうね。現実にBPO案件みたいなのも多いわけで、こんなこと続けていたら早晩、国家権力等からの強力な規制・介入を受けたとしても、ザマミロとしか思えないよね、というのが自然な感想なのではないか、とも。

 テレビは権力に対してギャーギャー吠えてますが、それが本性的な機能なんで完全に否定はしませんが、自分自身もまた強大な社会的権力であることを、もっとしっかりと自覚すべきでしょう。最近の犯罪被害者の実名晒しなどを見てると、ホントどうしようもねえ、恐ろしい放縦化した権力だよな、と思いますもん。

 色々ボロクソ書きましたが、現在進行形でテレビの取材(依頼)を受けており、テレビの世界にもちゃんとした人が居るのは知っているのです。しかし、上記のようなグダグダが常態であることは知られても良いと思うし、その上でテレビの自浄を期待したいところです。何年経っても記憶に残る素晴らしい番組もあるのですから。

 

玉袋筋太郎さんとの邂逅

 過日、赤坂にある玉袋筋太郎さん経営の「スナック玉ちゃん」にお邪魔して来ました。

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 当日は、白水社で或る本の巻末につける座談会を行っており、参加者で神田のほうで夕食をとった後に、折角だから赤坂の玉袋さんのお店にお邪魔してみよう!というコトとなり、座談会で一緒だった、井上彰さん(東京大学)と『日本の夜の公共圏 スナック研究序説』の共同執筆者・横濱竜也さん(静岡大学)、そして担当編集者の竹園公一朗さんと連れだって、赤坂の街に降り立ったのでした。

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 行く直前に予約は入れましたが、玉袋さんが当日、お店にいらっしゃるかは分からず、いちかばちか、お会い出来ればもっけの幸いくらいのつもりで、せめて形なりとも先ずはご挨拶を、と伺った次第です。素敵なお店でした。

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 開店したての20時からお店に入ったのですが、すぐにお店は満員になり、店内で流れるMXテレビの「バラ色ダンディー」(生放送)に玉袋さんが出演していましたが、番組を観ていると、なんと、放送終了後に来店されるとの声が!


 長らく直接お目もじしてご挨拶したいと思っていた宿願が果たされた夜でした(感無量)。 

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 玉袋さんには改めて『日本の夜の公共圏 スナック研究序説』を献呈させて頂きましたが、既にお読み頂いているとのことで、お褒めの言葉と共に、今後も一層スナック研究に邁進するようにとの激励の言葉も頂きました。 

日本の夜の公共圏:スナック研究序説

日本の夜の公共圏:スナック研究序説

 

 

 スナックから競輪の話まで、話題は尽きませんでしたが、お店も混んで来たので、今日はまずはご挨拶までにということで、遅くならないうちに辞去しました。また、ゆっくりとお話する機会があれば、これにまさる幸甚はありません。

 

 最後に全員での集合写真をば。

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 良い夜でした、実に。

 

 

スナック論としての『人生の勝算』

 最近、ゼミの卒業生の西村創一朗さんから紹介されて前田裕二著の『人生の勝算』という本を読んだ。 

人生の勝算 (NewsPicks Book)

人生の勝算 (NewsPicks Book)

 

 1987年生まれの著者は、大学卒業後、外資系証券に入りニューヨークで活躍した後、ディー・エヌ・エーを経て現在、SHOWROOMという先端的なITサービスを提供する会社を経営するカリスマ的起業家であり、この本は著者自身の波乱に富んだ半生記の体裁も取っている。紹介されてすぐにkindleで2時間も掛からずに読了したが、読み物としても面白く、また、著者の人間的魅力も強く伝わって来る本だった。

 私が普段紹介するような本とは、およそ毛色の違う本であり、私じしんの親しい人たち(特に人文社会科学系の研究者や行政官)が手に取って読むことは、まずないだろうジャンルの本なのだが、既に述べた通り、掛け値無しに面白い本であり、また、この本は驚くべきことに「ビジネスコミュニティの真髄はスナックにあり!」と論じている本なので、以下、スナック研究の観点から、備忘を兼ねて書き記しておくことにしたい。

 この本の目次を見ると、いきなり驚くのだが、第1章「人は絆にお金を払う」の中に次のような項目が羅列してある。--「なぜスナックは潰れないのか」、「モノ消費からヒト消費へ--スナックの客は人との繋がりにお金を払う」、「AKBはスナック街である」、「コミュニティ作りがあらゆるビジネスの鍵になる」。

 

 私は最初、「え、スナック??!!」とひっくり返るくらい、驚いた。

 

 先に書いた通り、著者の人生は波乱に富んでおり、8歳で両親を亡くした後、ストリートで歌を歌っておひねりを貰っていたのがビジネスの原点なのだが、母親に連れて行って貰っていたというスナックでの思い出が、著者の原風景になっているのが伺える。例えば、以下の下り。

「母親によく連れてもらてちたスナックやカラオケで大人が歌っていたような昭和の歌謡曲が良いだろうと思いました。例えば、松田聖子テレサ・テン美空ひばり・・・吉幾三などの曲を練習して歌いました。」

 著者は、現在運営しているライブストリーミングサービス=SHOWROOMに関して、「コミュニティを築く上で大切な本質」は、実は「スナック」という意外なところに詰まっていたと言う。

 その上で、著者は「地方や下町の外れなどで営業しているスナック」が「どう見ても流行ってはいなさそうなのに、なかなか潰れない」でいて、15年とか20年も商いを続けていることが多々あるのは、何故なのか?--ということに思いを致し、以下のように言うのである。

「僕は地方出張に行くと、必ず現地のスナックを訪れます。その度に、「すべてのファンビジネスの根幹はスナックなのではないか」と思わされるような学びを得ます。家族の影響でもともとスナックは身近な存在でしたが、大人になってまた、スナックに潜む、永続するコミュニティの本質に気付かされています。」

 そこで先の目次にもあった問い「なぜスナックは潰れないのか?」へと至るのであった。--少し横路に逸れるが、統計的に見た場合、実はスナックは潰れている。わたし自身の手持ちのデータによるなら、2015年から2017年までの2年間での概数ではあるが、全国で2万軒以上のスナックが閉店している。ただ、これはココでの本筋とは別の問題なので、別途論じることにしたい。

 著者によるなら、単純な経営(財政)上の問題として、そもそもスナックが「潰れにくい」設計になっている業態なのである。つまり、「スナックは構造的にコストを最小限に抑制しながら売り上げをつくれるビジネスモデルになっている」と。少なからぬケースで、自宅を改装して営業している点で固定費としての家賃は抑えられ、また、従業員もミニマムである(ママ+α)。メニューも、薄めの酒に定番の乾き物があれば良い。ココでは「売り上げに掛かってくる変動費」も抑えられるワケである。従って、「ベースとして潰れるリスクの低い業態になっている」というのである。--以上の点に関してはスナックという業態に関して実はもう少し突っ込んだ議論が必要なのだが、おおむね間違っていないように思われる。

 ただ、「スナックが潰れにくい」という著者の主張を支えるのは、以上のようなドライな財政面上の事柄ではなく、「モノ消費からヒト消費へ」という「コミュニティビジネス」の側面こそが重要なポイントをなしているのである。

 著者によるなら、「スナックを訪れる客は酒や料理などの表層的なものを求めているのではない。つまり、目的が明確な「モノ消費」ではない」のである。

 著者は、「廃れゆく商店街の中で、スナックがなぜ最後まで潰れないのか」を問われた時、そこには2つの背景があると言う。

1)人がスナックに金を払う背景には「ヒト」が深く関わっている
2)「モノ」ではなく「ヒト」が消費理由になる場合、そこには「絆」という対価が生じているので、しょっとやそっとでは、その価値が消滅しにくい。

 「モノ消費」とは、「単純に機能的価値やコンテンツそのものを欲して対価を支払う」ものであり、景気や需要に大いに左右される。
 それに対して「スナック=ヒト消費」は、「より賞味期限が長く普遍的な、所属欲求や承認・自我欲求も満たされうる」ものなのである。

 著者によるなら、「ママの親身なアドバイスによって、つい人には言えない内面の弱さや悩みなども吐露してしまい、「本当のあるべき自分でいたい」といった自己実現欲求にまで消費裡由が昇華して」ゆくのである。

 このような意味での(ビジネス)コミュニティが形成される上での5つのエッセンスが存在し、これらは全て「スナックコミュニティ」という現象から抽象化されるというのが著者の核心的主張である。

1)余白の存在:ママは若くて綺麗な女性である必要はない。先に潰れても良いし、どこか頼り無くても良い。プロとしては粗だらけ。しかし、その未完成な感じが逆に共感を誘い、仲間をつくる。みんなでこのママを支えようという結束力が生まれ、コミュニティが強くなる。他の業態と比較した場合の、お客側からののエンゲージメントの調達の容易さ。

2)常連客の存在:空間をなるべく閉じられたものにすることによって、俺たちだけの場所といった所属欲求をかき立てている。

3)仮想敵をつくること:スナックでのトラブル。ママを責める常連客は、皆の敵になり、ママをみなで守ることで結束が強まる。

4)秘密やコンテクスト:トラブルのことは、他の客には言わないで我々の胸のうちだけに仕舞っておこうという共通認識やコンテクスト。

5)共通目的やベクトルを持つこと:お店のトラブルを解決するという目的に向かっていくことで「絆」が生まれる。

 

 以上を踏まえた上で、「AKBはスナック街である」と著者は言う。AKBでも仮想的=ライバルの存在が、それぞれのコミュニティの熱量を高めている、と。熱量の高いスナックがたくさん存在する、スナック街のようなグループがAKBなのだ、と。

 著者は30歳という若さにも関わらず「現役」のスナッカーであり、私のようにスナックについて色々と書き記す者にとっては、コレだけでも嬉しいことなのだが、彼自身の人生の原風景にスナックがあるということには、しみじみと感じ入るものさえあった。例えば、以下のような記述。

「5歳くらいで、遊び道具としての音楽と出会いました。韓国で歌手をしていた母と一緒に歌を歌って、歌う楽しさを覚えた。家族と一緒にスナックやカラオケで歌を歌うことが楽しみだった。デュオグループ「狩人」が歌う『あずさ2号』という直球ど真ん中の歌謡曲を兄と一緒に歌って親を喜ばせるのが、心から好きでした。」

 

 本書に関しては、冒頭の西村さんからご紹介頂いた後、西村さんが主宰する「朝渋」という早朝7時半から渋谷のイベントカフェで行われる、著者=前田氏とその編集者(幻冬舎・箕輪氏)が来て話す会にお招き頂き参加して、実際に著者が喋るのも聞いたが、実に魅力的な人物で、なおさらこの本の中で描き出された「スナック論」に説得力を感じたのだった。

asashibu33.peatix.com

 元ゼミ生づての縁で、とても良い本を知ることが出来、人生の奇縁を感じた週末だった(以上、念のため、スナック研究会代表の谷口功一による)。

 なお、蛇足ではあるが、本エントリーを読んでスナックに興味を持った方には、以下のスナック研究会による本もお手に取って頂ければ幸いである。 

日本の夜の公共圏:スナック研究序説

日本の夜の公共圏:スナック研究序説

 

 以上。