玉袋筋太郎さんとの邂逅
過日、赤坂にある玉袋筋太郎さん経営の「スナック玉ちゃん」にお邪魔して来ました。
当日は、白水社で或る本の巻末につける座談会を行っており、参加者で神田のほうで夕食をとった後に、折角だから赤坂の玉袋さんのお店にお邪魔してみよう!というコトとなり、座談会で一緒だった、井上彰さん(東京大学)と『日本の夜の公共圏 スナック研究序説』の共同執筆者・横濱竜也さん(静岡大学)、そして担当編集者の竹園公一朗さんと連れだって、赤坂の街に降り立ったのでした。
行く直前に予約は入れましたが、玉袋さんが当日、お店にいらっしゃるかは分からず、いちかばちか、お会い出来ればもっけの幸いくらいのつもりで、せめて形なりとも先ずはご挨拶を、と伺った次第です。素敵なお店でした。
開店したての20時からお店に入ったのですが、すぐにお店は満員になり、店内で流れるMXテレビの「バラ色ダンディー」(生放送)に玉袋さんが出演していましたが、番組を観ていると、なんと、放送終了後に来店されるとの声が!
長らく直接お目もじしてご挨拶したいと思っていた宿願が果たされた夜でした(感無量)。
玉袋さんには改めて『日本の夜の公共圏 スナック研究序説』を献呈させて頂きましたが、既にお読み頂いているとのことで、お褒めの言葉と共に、今後も一層スナック研究に邁進するようにとの激励の言葉も頂きました。
スナックから競輪の話まで、話題は尽きませんでしたが、お店も混んで来たので、今日はまずはご挨拶までにということで、遅くならないうちに辞去しました。また、ゆっくりとお話する機会があれば、これにまさる幸甚はありません。
最後に全員での集合写真をば。
良い夜でした、実に。
スナック論としての『人生の勝算』
最近、ゼミの卒業生の西村創一朗さんから紹介されて前田裕二著の『人生の勝算』という本を読んだ。
1987年生まれの著者は、大学卒業後、外資系証券に入りニューヨークで活躍した後、ディー・エヌ・エーを経て現在、SHOWROOMという先端的なITサービスを提供する会社を経営するカリスマ的起業家であり、この本は著者自身の波乱に富んだ半生記の体裁も取っている。紹介されてすぐにkindleで2時間も掛からずに読了したが、読み物としても面白く、また、著者の人間的魅力も強く伝わって来る本だった。
私が普段紹介するような本とは、およそ毛色の違う本であり、私じしんの親しい人たち(特に人文社会科学系の研究者や行政官)が手に取って読むことは、まずないだろうジャンルの本なのだが、既に述べた通り、掛け値無しに面白い本であり、また、この本は驚くべきことに「ビジネスコミュニティの真髄はスナックにあり!」と論じている本なので、以下、スナック研究の観点から、備忘を兼ねて書き記しておくことにしたい。
この本の目次を見ると、いきなり驚くのだが、第1章「人は絆にお金を払う」の中に次のような項目が羅列してある。--「なぜスナックは潰れないのか」、「モノ消費からヒト消費へ--スナックの客は人との繋がりにお金を払う」、「AKBはスナック街である」、「コミュニティ作りがあらゆるビジネスの鍵になる」。
私は最初、「え、スナック??!!」とひっくり返るくらい、驚いた。
先に書いた通り、著者の人生は波乱に富んでおり、8歳で両親を亡くした後、ストリートで歌を歌っておひねりを貰っていたのがビジネスの原点なのだが、母親に連れて行って貰っていたというスナックでの思い出が、著者の原風景になっているのが伺える。例えば、以下の下り。
「母親によく連れてもらてちたスナックやカラオケで大人が歌っていたような昭和の歌謡曲が良いだろうと思いました。例えば、松田聖子やテレサ・テン、美空ひばり・・・吉幾三などの曲を練習して歌いました。」
著者は、現在運営しているライブストリーミングサービス=SHOWROOMに関して、「コミュニティを築く上で大切な本質」は、実は「スナック」という意外なところに詰まっていたと言う。
その上で、著者は「地方や下町の外れなどで営業しているスナック」が「どう見ても流行ってはいなさそうなのに、なかなか潰れない」でいて、15年とか20年も商いを続けていることが多々あるのは、何故なのか?--ということに思いを致し、以下のように言うのである。
「僕は地方出張に行くと、必ず現地のスナックを訪れます。その度に、「すべてのファンビジネスの根幹はスナックなのではないか」と思わされるような学びを得ます。家族の影響でもともとスナックは身近な存在でしたが、大人になってまた、スナックに潜む、永続するコミュニティの本質に気付かされています。」
そこで先の目次にもあった問い「なぜスナックは潰れないのか?」へと至るのであった。--少し横路に逸れるが、統計的に見た場合、実はスナックは潰れている。わたし自身の手持ちのデータによるなら、2015年から2017年までの2年間での概数ではあるが、全国で2万軒以上のスナックが閉店している。ただ、これはココでの本筋とは別の問題なので、別途論じることにしたい。
著者によるなら、単純な経営(財政)上の問題として、そもそもスナックが「潰れにくい」設計になっている業態なのである。つまり、「スナックは構造的にコストを最小限に抑制しながら売り上げをつくれるビジネスモデルになっている」と。少なからぬケースで、自宅を改装して営業している点で固定費としての家賃は抑えられ、また、従業員もミニマムである(ママ+α)。メニューも、薄めの酒に定番の乾き物があれば良い。ココでは「売り上げに掛かってくる変動費」も抑えられるワケである。従って、「ベースとして潰れるリスクの低い業態になっている」というのである。--以上の点に関してはスナックという業態に関して実はもう少し突っ込んだ議論が必要なのだが、おおむね間違っていないように思われる。
ただ、「スナックが潰れにくい」という著者の主張を支えるのは、以上のようなドライな財政面上の事柄ではなく、「モノ消費からヒト消費へ」という「コミュニティビジネス」の側面こそが重要なポイントをなしているのである。
著者によるなら、「スナックを訪れる客は酒や料理などの表層的なものを求めているのではない。つまり、目的が明確な「モノ消費」ではない」のである。
著者は、「廃れゆく商店街の中で、スナックがなぜ最後まで潰れないのか」を問われた時、そこには2つの背景があると言う。
1)人がスナックに金を払う背景には「ヒト」が深く関わっている
2)「モノ」ではなく「ヒト」が消費理由になる場合、そこには「絆」という対価が生じているので、しょっとやそっとでは、その価値が消滅しにくい。
「モノ消費」とは、「単純に機能的価値やコンテンツそのものを欲して対価を支払う」ものであり、景気や需要に大いに左右される。
それに対して「スナック=ヒト消費」は、「より賞味期限が長く普遍的な、所属欲求や承認・自我欲求も満たされうる」ものなのである。
著者によるなら、「ママの親身なアドバイスによって、つい人には言えない内面の弱さや悩みなども吐露してしまい、「本当のあるべき自分でいたい」といった自己実現欲求にまで消費裡由が昇華して」ゆくのである。
このような意味での(ビジネス)コミュニティが形成される上での5つのエッセンスが存在し、これらは全て「スナックコミュニティ」という現象から抽象化されるというのが著者の核心的主張である。
1)余白の存在:ママは若くて綺麗な女性である必要はない。先に潰れても良いし、どこか頼り無くても良い。プロとしては粗だらけ。しかし、その未完成な感じが逆に共感を誘い、仲間をつくる。みんなでこのママを支えようという結束力が生まれ、コミュニティが強くなる。他の業態と比較した場合の、お客側からののエンゲージメントの調達の容易さ。
2)常連客の存在:空間をなるべく閉じられたものにすることによって、俺たちだけの場所といった所属欲求をかき立てている。
3)仮想敵をつくること:スナックでのトラブル。ママを責める常連客は、皆の敵になり、ママをみなで守ることで結束が強まる。
4)秘密やコンテクスト:トラブルのことは、他の客には言わないで我々の胸のうちだけに仕舞っておこうという共通認識やコンテクスト。
5)共通目的やベクトルを持つこと:お店のトラブルを解決するという目的に向かっていくことで「絆」が生まれる。
以上を踏まえた上で、「AKBはスナック街である」と著者は言う。AKBでも仮想的=ライバルの存在が、それぞれのコミュニティの熱量を高めている、と。熱量の高いスナックがたくさん存在する、スナック街のようなグループがAKBなのだ、と。
著者は30歳という若さにも関わらず「現役」のスナッカーであり、私のようにスナックについて色々と書き記す者にとっては、コレだけでも嬉しいことなのだが、彼自身の人生の原風景にスナックがあるということには、しみじみと感じ入るものさえあった。例えば、以下のような記述。
「5歳くらいで、遊び道具としての音楽と出会いました。韓国で歌手をしていた母と一緒に歌を歌って、歌う楽しさを覚えた。家族と一緒にスナックやカラオケで歌を歌うことが楽しみだった。デュオグループ「狩人」が歌う『あずさ2号』という直球ど真ん中の歌謡曲を兄と一緒に歌って親を喜ばせるのが、心から好きでした。」
本書に関しては、冒頭の西村さんからご紹介頂いた後、西村さんが主宰する「朝渋」という早朝7時半から渋谷のイベントカフェで行われる、著者=前田氏とその編集者(幻冬舎・箕輪氏)が来て話す会にお招き頂き参加して、実際に著者が喋るのも聞いたが、実に魅力的な人物で、なおさらこの本の中で描き出された「スナック論」に説得力を感じたのだった。
元ゼミ生づての縁で、とても良い本を知ることが出来、人生の奇縁を感じた週末だった(以上、念のため、スナック研究会代表の谷口功一による)。
なお、蛇足ではあるが、本エントリーを読んでスナックに興味を持った方には、以下のスナック研究会による本もお手に取って頂ければ幸いである。
以上。
スナック研究会・大団円
過日、サントリー文化財団からの助成を受けた形としては最後となる、スナック研究会の総括会を催してました。出席者は以下の通りですが、亀井源太郎さんと荒井紀一郎さんは、現在、それぞれコロンビア大学(ニューヨーク)・ハーヴァード大学(ボストン)に留学中なのでした(河野有理さんはご家族の、のっぴきならないご用事)。
出席者:谷口功一、井田太郎、伊藤正次、苅部直、宍戸常寿、高山大毅、横濱竜也、竹園公一朗
当日は、以下のように、出席者全員からひと言ずつ、刊行された『日本の夜の公共圏 スナック研究序説』の感想を述べてもらいました。
〔谷口〕
〇 まず表紙写真について。都築響一さんからご提供いただいたもの。表紙では意味づけが過剰になってしまうためにやむなくカットしたが、左半分に「大和たける」さんというインディーズ演歌歌手の方が写っていた。若くして病気で人工透析を受けるようになり、パートナーとともに音響器具をトラックに載せ、東北中を営業している。スナック「おかえり」は青森県某所にあるので、近々訪問してみたい。なお、大和さんについては以下の本の中で詳しく描かれている。
〇 本の内容について。21世紀の奇書。とくに第2章~第4章、なかでも第2章(伊藤正次執筆分)が突出して変態的。
〇 反響。荒井論文191頁の「表1」で、1000人当たりのスナック軒数全国11位として出てくる北海道岩内町。本書を読んだ友人の編集者のおじいさんが通ったスナックのある街だった。おじいさんが元気にスナックに通っていた頃のことを思い出して涙したという話を聞き感じ入った。人の心に触れる部分のある本なのかもしれない。
〔横濱〕
〇「門前の小僧」として、あらためてすごい研究会とすごい本に参加させていただいたと思っている。他所では決して聴くことのできないすばらしく楽しい報告を、ただ聴くだけの立場で参加させていただいたことに、心から感謝したい。
〔高山〕
〇 寄稿論文について、最初は「玉袋筋太郎から『源氏物語玉の小櫛』まで」というタイトルで書くことを考えていた。タイトル案はネタであるが、内容は大真面目なものである。
〇 他の章について、第2章~第4章まで、法令関係の話であるにもかかわらず、吹き出してしまうところが満載で、電車内で読んでいて困った。
〔井田〕
〇 谷口さんとは吉野朔実さんを介しての出会いであった。今回、スナック研究会という形でご一緒することになったのは感慨深い。
〇 法律とは縁遠い分野を研究している者であるが、スナック研究は悪所研究やサロン研究という点で自らの関心と重なると思っていた。
〇 伊藤論文や亀井論文の行間から醸し出されてくるもの、そして宍戸論文の共産党話には大爆笑させてもらった。
〇 法律の方々と研究会をご一緒したからこそ、これまで知らなかった「カフェー丸玉事件」を(織田作之助『夫婦善哉』といっしょに)寄稿論文で取りあげることができた。
〔苅部〕
〇 寄稿論文にて触れた、板橋区の富士見町都営住宅は、実は家族の入院していた病院の近くだった。見舞いで1年ぐらい通っていたが、その頃は、そこのスナックを取りあげることになるとは思いもしなかった。
〔伊藤〕
〇 皆さんから私の第2章について、いろいろ言っていただいているが、私としては(寄稿論文では十分でなく)まだもう少しやりたかったところ。それは食品衛生監視指導計画の部分。その点で実証研究として道半ばである。
〇 もう一点、スナックという切り口を与えられたからこそ、第2章のような内容が書けたところがある。(歴史を専門とする他の寄稿者に比べて)普通に研究をしているかぎりでは、比較的広がりが乏しいものになるなかで、スナック研究会のおかげで芸の幅が広がった。
〔宍戸〕
〇 酒も飲めず、欠席も少なくなかったなかで、最後まで参加させていただいたことがありがたい。
〇 伊藤論文のすごい(変態的な)ところは、これだけの短い文章でこれほど多くの情報が整理されて示されていること。
〇 スナック研究会の面白さは、スナックという素材自体の面白さと、集まっている人々の面白さ。
〇 スナック研究から進んで、「カフェー丸玉女給事件」の学際研究や、荒井論文などを出発点にしたビッグデータの活用問題、スナックとSNS、スナックとAIといった情報法分野との連携なども、考えてみたいと思っている。
〔竹園〕
〇 編集者の役割は、マラソンにたとえれば、スタート地点の競技場で声援を送り、30キロ以降ゴールまで伴走すること。
〇 今回の本の寄稿者は、筋肉ムキムキの、力のある走者で、その意味では緊張感のある、きびしい仕事だったし、仕事を通して成長できた。
伊藤正次さんによる第2章が「変態的である」ということで衆目が一致したのが大変印象的でした。
なお、アメリカの亀井さん・荒井さん、そして河野さんからも以下のようなメッセージを頂きました。
〔亀井〕
〇 亀井@ニューヨークです。最終回の記録を拝見しました。出席できず、まことに残念です。「スナック」は、解釈論屋/刑事法屋にとって普段は与えられない切り口で戸惑った面もありますが、素晴らしいメンバーと楽しく議論できたことは幸せな思い出です。研究者になって本当によかったと思いました。御礼申し上げます。
〔荒井〕
〇 荒井@ボストンです。最終回の記録ありがとうございました。毎回、アプローチのまったく異なるスナックの「料理法」とそこで交わされる議論に個人的には緊張しっぱなしでしたが、とても勉強になりました。みなさんの章を読んで、自分の分析を見直すとやはり時系列のデータがあればなあと思った次第です。ニコ生で谷口先生がおっしゃっていたように、スナックの軒数は減少傾向ですし、時系列データがあれば「立地」にしても「機能」にしても、スナックが時代とともにどう変化したのかに迫ることができて、他章とのつながりももっと出せたかなと思っております。本当にありがとうございました。
〔河野〕
〇 最終回の様子を紙(PC)上で拝見し、改めて参加できなくて残念です。最近は若者の「飲み会」離れが叫ばれていますが、大人とて「形式的なつまらない飲み会」の苦痛は身に染みて感じているのではないでしょうか。しかしだからこそ、気の合う同士の肩ひじ張らない「実質的な懇親」への願望はむしろ高まるということもあるでしょう。「飲み会」を忌避する若者も(そこにアルコールが介在するかどうかは別問題として)そうした意味での「懇親」を望んでいないわけではないのでしょう。
〇 私の関心は、こうしたおそらく多くの人にとっては身近なはずの問題を「二次会」というキーワードを使って近代日本の経験として考えてみるということでした。それが成功したかどうかは読者の判断に委ねるしかありませんが、思えばこの会が研究会という「一次会」と懇親会という「二次会」が見事に融合した稀有な事例であったということは、「スナック」という場所の可能性を考える上でもかなり意味のあることなのではないかと思いました。皆さま、本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
当日は毎回の研究会に会場を提供して下さったお店(スナック)のママに研究会一同から御礼の記念品と花束の贈呈も行われたのでした。
助成を受けた形でのスナック研究会は、このたびをもって一旦大団円を迎えたわけですが、研究共同体としては今後も持続してゆきたいと思っておりますので、今後ともご愛顧頂ければ誠に幸いです。
現場からは以上でした。
学者が本気でやるバカに戦慄せよ
スナック研究会謹製
『日本の夜の公共圏 スナック研究序説』
刊行のご挨拶
出ました!!
このたび、白水社より『日本の夜の公共圏 スナック研究序説』を刊行しました。はじめは編者であるわたし(谷口)が独りでコツコツと始めたこの研究が、サントリー文化財団の研究助成を受け、また綺羅星のようなメンバーと共にスナック研究会という研究共同体へと発展し、こうして一冊の書物にまで結実したのは、本当に感慨深いことです。実際に本を手に取り、しみじみと、よくぞココまで来たなと思いました。(上の写真は担当編集者さんの机の上です。)
下記、出版社公式サイト(詳細目次など有り)
先ず表紙の装丁からですが、この写真は座談会にご登場頂いた都築響一さんによるものです。「おかえり」という店名のスナックの看板が実にしみます。オビの右隅に居るオジサンは言わずとしれた「アンクルトリス」。柳原良平によるサントリー・トリスのキャラクターです。
アンクルトリスについては、以下などもご参照。
目次は以下の通りです。私以外のメンバーについては、掛け値無しに、この世代の人文社会系の研究者としては、考え得る限り最も優れた陣容を誇るものであると自負しています。メンバー構成は多分野にわたるので、この面子の「凄まじさ」の全容が分かる人というのは中々居ないかもしれませんが、一部でも分かれば、上記のことは十分に理解して頂けると思っています。何よりも本書の内容が、それを雄弁に語っています。
本書は夜の巷にネオンを灯す「スナック」という存在について、徹底して「真面目に馬鹿をやる」ことを追及し切ったものです。一読、戦慄して頂けると幸いです。「こいつら、(本気と書いて)マジか・・・」という本に仕上がっています。
いえ、本気(マジ)です。
今ここで始まった、わが国におけるスナック研究史に燦然と輝く一里塚として、今後長く、そして広く読み継がれてゆくことを願うばかりです。
ココで重大なお知らせですが、既に本書の続編も現在進行中で、「序説」である本書の続きとして、わたし、谷口自身のスナックに関する単独著作を鋭意執筆中です。何とか今年中には上梓したいと思っており、そこで、これまでのスナック研究のすべての蓄積と成果が解き放たれるコトとなります。乞ご期待。
最後になりますが、今後いっそうのスナック研究を進展させるためにも、引き続き日本全国津々浦々のスナックを訪れてゆきたいと思っています。既に何件かのご依頼を頂いてはいますが、全国の商工会(議所)、料飲組合、青年会議所などからの講演のご依頼などには積極的に対応してゆきたいと思っていますので、講演のご依頼などは、下記のURLのフォームから、ご遠慮なくお声がけ頂ければ幸いです。
以上、ご挨拶とお知らせまでに。
スナック研究会代表・谷口功一
敬白。
追記:上記エントリー掲載後、本書発売日の6月21日はお菓子のほうではあるけれど「スナックの日」であることが分かり、余りの偶然に驚いていた。しかし、更に数日後、高山大毅先生が、この日は本居宣長大人(本書、第1章参照)の生誕日であることに気が付いてご教示下さり、この本は本当に何かの運命の下にこの世に出たものなのだなという思いを強く持ちました。
別府講演会「スナックからの地方創生」
過日、大分県別府市で「スナックからの地方創生」と題した講演会を行って来ました。我が故郷ながら、別府は正真正銘の「スナック王国」なのです。
中心的な飲み屋街は「北浜」ですが、以下の密集ぶり・・・。
別府のスナック街についてはエントリーを改め、また後日、詳しく紹介する機会を持ちたいと思いますが、以下、講演会について。--当日は、別府商工会議所主催・別府料飲協同組合の共催による盛大な会で、100名以上の方にご参加頂きました。
当日は、研究会の代表である谷口による1時間ほどの講演を行いましたが、講演会後、研究会メンバーの苅部直先生、荒井紀一郎先生にもご参加頂き、来場者との交流なども行いました。
上記、「囲む会」と少々気恥ずかしい案内になっていますが、こちらの方も100名以上の方にご参加頂き、多くの方と名刺交換・ご挨拶などさせて頂く中、色々な話を伺うことが出来ました。皆さんには望外に楽しんで頂けたようで、本当に良かったです。以下の通り、会場が凄いところで、結婚式場の「チャペル」での講演という・・・。
講演会では、スナック研究会で得られた様々な知見を元に、自分で言うのも何なのではありますが、私(谷口)自身と別府との繋がりを活かした話をさせて頂きました。具体的な内容は以下の通り。
1.自己紹介
2.なぜスナック研究?(スナック研究の《原風景》としての別府)
3.スナック研究会について
4.スナックとは何か?
5.スナックの現状
6.スナックからの地方創生?
今回は、スナック研究会が第1期を終了し、現在、研究成果物の書籍化のための作業フェイズに入っている中、これまで得られた知見を分かりやすくお伝えすることを心掛け、幾つかの視覚資料なども用いて講演を行いました。具体的には、特に上記「5.スナックの現状」において、全国のスナック店舗の数、全都道府県での総数・対人口比の比較(順位付け)、そして特に「別府」をフィーチャーした形でのデータ分析などを披露しました。
これは書籍化に先立ってのサービス的な情報提供も兼ねますが、日本全国でのスナック分布は実は以下のようになっており、東北、そして特に西日本は圧倒的な数を誇っています。とにかく九州の各県は圧倒的なのです(下図:荒井紀一郎先生作成)。
実は、生まれて初めてパワーポイントのファイルを新規作成し、また、実際に講演でパワポを操作しましたが、何て便利な文明の利器!と今さらながらに気が付きました。やはり、視覚資料の効果は大きいです。
講演会終了後は、中庭にサントリー・八鹿酒造・三和酒類(iichiko)・JAフーズおおいた・老松酒造の各社からブースが出され、大分の誇る美酒の数々の試飲会が行われました。
試飲会終了後、普段は披露宴会場として使われている(であろう・・・)会場で盛大な「囲む会(懇親会)」が行われました。会場に入った瞬間に実は唖然としました(政治資金パーティのようだ・・・)
以下は、たくさんご挨拶頂いた中から、料飲組合・商工会議所の綺麗どころの皆さんからのご挨拶集です。
最後は、ご来場頂いたママさんたちからご自分のお店の紹介なども兼ねてご挨拶頂き、盛大な会は幕を閉じたのでありました。実に楽しくも華やかな会で、故郷に錦を飾るとは、まさにこのことだなと本当に感慨深かったです。
私は、その後、今回お世話になったお店を中心に夜の街を行脚してまわったのですが、さすがに目一杯の予定が詰まった一日だったので、時計の針が日付を越える頃、4軒目で帰路についたのでありました。
追記:帰京後、西日本新聞と今日新聞に講演会の様子が記事として掲載されていました。
以上。
スナック紀行--群馬県太田編
「おくのふと道」と題して、青森のスナック街について記して来たが、東北以外のものについては今後「スナック紀行」の括りの下、これまで訪れた街について記し留めておくことにする。今回は、群馬県太田市。
太田市は、以前書いた「郊外の多文化主義」の冒頭で触れた外国人居住比率日本一の邑楽郡大泉町の隣にあり、私は大泉への調査に行く際、何度か太田を訪れているのだった。
人口22万の太田市は、富士重工業(スバル)の企業城下町であり、北関東有数の工業都市である。
地理的には「東毛」に属すが、「上毛かるた」などにも見られる、この「毛」の文字は、下野(しもつ《け》)という旧国名にある《け》であり、これは古代関東における「毛野(けの)」という勢力に由来しているらしい。
これまで「おくのふと道」で記した、むつ(大湊)や三沢と同様、太田もまた軍都であるのは偶然なのだが、ここには戦前、巨大な軍需工廠であった中島飛行機が存在した。現在のスバルは、戦後、軍需産業に進出出来ないように解体された同社の末裔である。
先述の通り、私は隣町への調査の宿所としてこの街を訪れたのだが、実は太田自体にも以前から興味を持っていたのだった。三浦展の『下流同盟』の中で駅前商店街が全て風俗業となった一種異様な光景が活写されていたからである。
東武特急・りょうもうで太田を訪れた私は、先ず、駅前右手に巨艦のごとく鎮座するドンキホーテを目にし、視線を正面に戻して少し歩いた先の光景に唖然とした。
キャバクラ、熟女パブ、フィリピンパブその他、夜の商売のみが広い道の両側を占めているのである。これまで色々な歓楽街を歩きまわったが、駅のド真ん前の目抜き通りが、このような状態になっている街を私は他で目にしたことはない。
日中ひとけのない、この駅前歓楽街は、高さのそろった低層建築のテナントに開店前の呑み屋がギッシリ詰まったまま沈黙し切り、その姿は、ひとっこひとりいない西部劇の街のようでさえある。「ハードボイルド」という言葉こそが似つかわしい。
かつてに比べると、随分と客足も落ち、夜の街の活気も失われたと聞くが、路地裏も含めた店の数は膨大であり、スナックも多数存在している。
ひとつ気になったのは、なぜか熟女パブが多いのだが、理由は不明である。
なお、太田については勝谷誠彦の『色街を呑む!』で1章を割いて扱われている。この本は本当に名著で私は大好きなのだが、ちょっとココには記せないような過激なことが記されている箇所も多いので、内容については割愛する。機会があれば是非、手に取って読まれたい。
日中、隣町の大泉町で調査をしていた私は、夕方、タクシーで太田へと戻って来た。タクシーの車内では「本社のひとですか?」とためらいなく聞かれたが、なるほど確かに、ここは観光などで来る場所ではないだろう。
いつも通り、陽のあるうちにスナック街を歩き回った私は夜のとばりが降りると共に、これまたいつも通りに、一人で夜の街へと繰り出したのだった。
ちょうど呑みに出た日が平日だったこともあり、とにかく人出が少なく、正味の話、当日の、この駅前歓楽街の客引き・キャッチは総出で私をターゲットにして声を掛けて来た・・・どころの話ではなく、わたしは道ばたでほとんど彼らに囲まれ、競りをするように各自の店の特色を宣伝され、値引き合戦をされ、そうして幾つかの店に入ったのだった。
値段はどこもおおむね安く、調査目的である日系ブラジル人の話だけでなく、ペルー人の話なども聞くことが出来、大変有益だった。客引きのひとりが大泉町から来ている日系ブラジル人の青年で、酒を酌み交わしながら、彼から話を聞けたのも大きな収穫だった。何度目かに訪れた時、この店も無くなってしまっていたのではあるが。
この手の調べ物をしている時、呑み屋での会話で案外重要な事柄なヒントを得ることも少なからずあるが、録音するわけにもゆかず、相手の目の前でメモを取るなど言語道断なので、わたしは毎度、酔っ払いながら必死でトイレの便座に座り、メモを残すのだった。後で見返した際、ときどき何を書いてあるのか分からず、「ちっ、このクソ酔っ払いめ(←自分)」とも思うのだった。
ところで誤解がないように大急ぎで言っておくが、いつも飲み代は全て自腹である。このようなことに公費を使うことなど宇宙がひっくり返ってもあり得ない。事務に領収書を持って行ったら殺されるだろう。
閑話休題--先に述べた通り、観光目的で来るようなところでは金輪際なく、郷里であるかスバルなどの関係者などでない限り訪れることのない街なのではあるが、何度か訪れた私は、この街に奇妙な親近感を抱いており、テレビなどで群馬や太田と聞くだけで、妙に嬉しい心持ちになるのだった。
最後に太田のベスト・ショット。
本当に恐ろしいほど味わいのある佇まいである。ボア・ノイチ太田。
以上。
おくのふと道--三沢編
奥州スナック紀行の第2回。今回は下北半島の付け根にある三沢市のスナック街について記し留めることとする。
青森県三沢市は、東を太平洋、西を小川原湖に挟まれ東西に細長く延びた形をしている人口4万人ほどの街だが、そこには更に1万人ほどの別腹?の人口が附属している--米軍基地である。
先に紹介した、むつ市が大湊に軍港を抱えるのと同じように、三沢もまた軍都であり、かつては帝国海軍三澤航空基地、現在ではアメリカ空軍第35戦闘航空団の基地が市域の八分の一という広大な面積を占めている。滞在中に聞いた限りでは基地と住民との関係は良好であり、米軍によるなら世界中の米軍基地の中でもっとも地元住民と友好的な関係を築いている基地とのことである。実際、私が街中を歩いている際も、何度か基地のアメリカ人からほがらかに日本語で「こんにちは」と挨拶された(三沢大火の際に米軍が献身的に救助活動にあたったというのも好感情の一端をなしているとのこと)。
市の地図上右上には原子力施設の他、巨大な国家石油備蓄基地が集積する六ヶ所村があるが、六ヶ所で働く原燃職員の多くも、三沢に居住して通勤していると聞く(他に取り立てて目立った産業の無いこの辺りでは、彼らは夜の街で羽振りが良い層だとも仄聞した)。ーー六ヶ所村にも行ったことがあるのだが、その話はまた別の機会に。
余談だが、下北半島界隈は、この三沢も含めて軍事・原子力関係の施設の多いところで、以下のような本も出ている。
個人的には、斉藤単独名義での下記の方がオススメである。米軍基地と言えば沖縄のことばかり思い浮かぶが、北の反対側のココにもまた、基地は厳然と存在するのである。
全くの余談ではあるが、この斉藤氏の著作としては、『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』をめぐる壮大な偽書捏造事件を扱った下記の本があるが、コレは本当に面白いので機会があれば是非、読むことをオススメする。
閑話休題--私は三沢を訪れるのは二回目なのだが、実はゼミの卒業生がこの街に帰郷して働いており、「むつ編」でも記した通り、青森の縁者のところを訪れるついでに、彼との旧交を温めに来ていたのだった。前回訪れた際は日中だけだったので、今回は満を持してホテルを取って探訪に臨んだ。
8月末の昼下がり、三沢駅で元ゼミ生のK君と待ち合わせた私は、ご家族が基地で働いている彼の計らいで、まずは米軍基地の中を案内してもらったのだった。
基地のクラブで実にアメリカンな楽しい昼食を取ったあと、車で基地の中を案内して貰ったが、驚くほど広大な敷地だった。全ての公共機能を備えたひとつの独立した街である。
基地内には素晴らしいゴルフ場があり、小川原湖を望む最も良いロケーションには米軍のプライベート・ビーチもしつらえられていた。別世界である。
基地については色々と考えるところもあったが、今回の本筋はそちらではないので、再び本題へと戻ってスナックの話へ。--3時間近くも基地を案内して貰った私は一旦、K君と別れホテルにチェックインし、1時間ほど休憩したのち、まだ陽のあるうちに三沢の歓楽街である「中央町」(下地図・赤囲い部分)の方へと繰り出した。
中央町の飲食店が集まった地域は、下記の写真の後方へと拡がっているが、狭い面積の中に多くの店が建て込んだ体になっている。
むつの田名部と同様、三沢市も人口の割りには多くのスナックを抱える街であり、その店構えの多くは、たまらないノスタルジーをかきたてるものだった。しばし、その雄姿を堪能されたい。
いつも初めてのスナック街を訪れる時には、日中まだ陽のあるうちに最低でも1時間以上は界隈を歩き回るようにしている。だいたいスナック街のようなところは細く暗い路地が入り組んだようになっているので、事前にGoogleストリートビューなどで見たところで、その詳細は良く分からないし、とにもかくにも自分の足で歩いてみなければ、そこが本当のところ、どのような場所なのかは分からないからである。
また、日中に歩くその他の利点としては、まだ、どの店も開店しておらず、客引きなども居ないので、行きつ戻りつしながら遠慮会釈なしに店の前に立って「ほぅ!」とか「ははぁ!」などと独りごちて、じっくりと店構えを賞翫したり、写真を撮ったりするのに好都合だから、というのもある(写真に関しては暗くなって看板が点灯するとネオンの光が映り込んで上手く店名が写らないから、というのもある)。
こういう興味のない他人から見たらクダラないにもほどがある目的で、昼のひなかから見知らぬ街の森閑としたスナックの森をただひたすら、ウヘウヘしながら歩きめぐり、「あぁ、さっきのあの道はこっちと繋がってたか!」とか「おぉ、こんな味わい深い店が!」などとやっている以上の愉悦が存在するだろうか?--オマケにその後、陽が落ちてから実際に呑みに戻って来るのである。
日が暮れると共に私は、ごきぶりのように密やかに夜のとばりの中へと這い出した。
K君に案内してもらった店は、彼の職場の集まりでよく使う店らしく、水商売の年季の入ったママが切り盛りする感じの良い店だった。
ボトルは入れなかったので、ショットで焼酎を呑ませてもらったが、六ヶ所村でつくっている「六趣」という珍しい酒とのことだった(美味かった)。
私とK君は、しばし旧交を温め、かつてのゼミ生たちの近況などを話しつつ、夜は更けて行った。その後、別の店を一軒一緒にはしごした後、彼と別れた私は夜の闇の中に沈み、最後にこの街の飲兵衛たちが夜の底で漂着する深夜レスト喫茶「ポルシェ」で夜食を摂ってから宿所に帰投したのだった。下記ご覧じられたい、落涙モノの味わいである。
以下はスナック云々を外れた余談であるが、翌朝起床した私は、電車の本数が極端に少なく時間もあるので、三沢の歓楽街以外の街中を、やはり無目的にてくてくてくてくと数時間、歩きまわった。
本エントリーの冒頭では軍都軍都と武張った側面ばかりを強調し過ぎたが、実はこの街は寺山修司の叔父が経営する寺山食堂があった場所であり、寺山も一時期、空襲から逃れて青森市から疎開し、居住していたのだった。現在では、寺山の親族から寄贈された遺品などを展示する記念館も市内に存在するが、目抜き通りは寺山ロードと称され、彼にちなむ展示などを目にすることが出来る。
以下の写真は、寺山の実家のあった三沢駅前の風景だが、現在では寺山食堂跡地が交差点になってしまっている。かつてはこの駅前が中心部だったのだが、現在では基地側に中心が移動しており、駅のまわりは廃れ切っている。タクシーの運転士の「ここは駅のまわりから消えて行ってるんですよ」という言葉が耳に残った。
試しに本屋に入って寺山の本でも記念に買うか、と思ったところ、残念ながら折り悪かったのか、彼の本は一冊も置いておらず、代わりに大部の『防衛実務小六法』最新版が山積みになっているのを見て、一瞬、寺山に幻惑された夢うつつから現実へと引き戻されたのだった。やはり、ここは基地の街なのである。
青森では「三八上北」という地域の括りがあり、三沢・八戸・上北郡がそれに含まれるが、既に三沢と上北郡は訪れたことがあるので、残りひとつである八戸にも、来年あたり訪れ、そのスナック街を深奥まで探訪してみたいものである。
最後に三沢市中央町スナック街のサービスショット。この店が最も味わいのある構えだった。店名は「そしある・魔洞無奈(マドンナ)」である。
以上。
おくのふと道--下北半島・むつ編
下北半島は斧の形をしている。大間村から北海岬へかけての稜線が、その刃の部分である。斧は、津軽一帯に向けてふりあげられており、「今まさに頭を叩き割ろうとしてる」ように見えるのが青森県の地図である。しかし、惨劇はこれから始まろうとしてるのではない。すでに竜飛岬から鼻繰岬へかけての東津軽は、一撃を受け、割られたあとなのである。ーー寺山修司『わが故郷』
この夏、長めに青森に滞在していたので、その際に訪れた幾つかの街について、スナックに絡めて記録を記し留めておく。青森には縁者がいるため、これまでも何度も訪れたことがあったのだが、ただ漫然と行くのも勿体ないので、今後は出来る限り記録を残したいと思う。
エントリーのタイトルは芭蕉奥州行をもじったものだが、いつか『おくのふと道-奥州スナック紀行』というタイトルで、芭蕉が辿ったままの経路を辿り、『おくのほそ道』及び『曾良旅日記』を参照しながらスナック紀行したものを本にしたい。現在執筆中のスナック本の刊行後にでも、改めて構想を練りたいものである。
閑話休題ーーまずは、むつ市から。むつは、「まさかり」の形をした下北半島の刃の付け根辺りに中心部・歓楽街を擁する人口6万人弱の街である。
1960年に「大湊田名部」市から現在の「むつ」市に名称を改めた日本初のひらがな名の市であり、急激な過疎化が進行する下北半島の中核的機能が集積した街でもある(2012年に放映されたNHK大河「平清盛」の主演男優・松山ケンイチの出身地でもある)。
下北半島の過疎化と、むつへの都市機能の集積性などについては、首都大学東京の山下祐介先生による『限界集落の真実―過疎の村は消えるか? 』が、とても参考になる。
東京からは、新幹線で3時間ほどで八戸まで行き、そこから青い森鉄道に乗り換え野辺地まで1時間、さらに単線の大湊線に乗り換え最寄りの下北駅まで1時間の計5時間強である。
途中、まさかりの「柄」の部分からは素晴らしい陸奥湾の眺望を得ることが出来る。この海の色は独特である。
下北駅からむつの市街地中心部までは少し離れており(歩くのは無理)、バスかタクシー(1000円くらい)で行くのが吉だが、かつては下北駅から分岐して大畑まで通じる路線で中心部の田名部(駅)まで行くことが出来たそうである。現在では田名部駅は駅舎も解体され、跡地には交番が建っている。
なお、上記の駅舎跡地からすぐのところにある商店街には、未だに「駅前商店会」という名称が残っており、祭り提灯に留められた文字が往時を偲ばせる。
さて、本題のスナックであるが、この街は人口の割には信じられないほどの夜の飲食店が蝟集しており、以前初めて来た時にはひっくり返るくらい驚いたのだった。正確に何軒あるのかは分からないが、基本的に田名部神社を取り囲むように無数のスナックがひしめいており、「スナック門前町」とでもいうべき様相を呈している。
とにかく、これでもかというくらいにスナック、スナック、スナックなのである。
なぜ、この程度の人口でこれほどまでの歓楽街があるのかについては幾つかの理由が考えられるが、すぐに思い浮かぶのは、この街が至近に海上自衛隊の大湊基地を擁する軍事上の要衝である点が挙げられるのではないだろうか。
この歓楽街は田名部神社と反対側のほうに田名部川が流れるいる関係からか、用水路がそこかしこにあるのも風情がある。
以下が田名部川だが、川そばの歓楽街というのは実に趣きのあるものである。なお写真奥の山は釜臥山で、そのすぐ背後に恐山がある。
私が今回むつに行ったのが盆明けの平日だったこともあったのだろうが、日中の田名部の歓楽街は人っこ独り居ない森閑とした場所であり、誰もいないスナックの森のごとき場所を、真夏の晴天下に歩き回るのは不思議な心持ちだった。
あとで聞いた話だが、むつが今よりも栄えていた頃の様子を見ることの出来る映像記録として、『魚群の群れ』という映画があるとのことである。Amazonプライムにも入っているので、後で観てみたい。
実は今回のむつではスナックには行っていないのだが(数年前に一度ひとりで来て大湊駅近くに泊まり数軒をはしごしたことはある)、目的地が更に先の恐山にあったからなのだった。
音に聞こえた霊場・恐山は、むつの市街地からバスで40分ほどの山中にある。下北駅からもバスは出ているが、今回は中心市街のバスターミナルから私は恐山に向かった。恐ろしいほど味のあるターミナルである。
ターミナルを出て恐山へと向かう道は冗談のように曲がりくねった深い山道で、途中、数多くの地蔵がまつられているのを観ることが出来る。車内放送では御詠歌が流れムードが高まる。寺山修司の映画『田園に死す』の中で流れるJ.A.シーザーの「こどもぼさつ」などを思い出せば良いかもしれない。
J・A・シーザー (J.A. Seazer) | こどもぼさつ | 1974
深い山中を抜けると、突然視界が開け眼前には真っ青な水をたたえた宇曽利湖(うそりこ)が姿を現し、息を呑むだろう。
恐山そのものについては多くの書かれたものやウェブ上の訪問記もあるので、多くは記さないが、今回思い切って訪れて本当に良かったと思う。
百聞は一見にしかずなのであるが、これまで色々なところを旅したものの、こんな景色は観たことがない。
この日は先述の通り大祭も終わった盆明けの平日ということもあり、バスに乗ったのも私以外は、三沢基地から来たと思しきアメリカ人の子連れの家族3人と老人2人のみで、恐山をまわる間じゅう、ほとんど私ひとりで上記のような光景を目にすることとなった。寺門をくぐり本堂から賽の目河原のひろがる地獄のような丘場を抜けると、突如として先の湖の奥に広がる白浜に無数の風車がまわる光景は異世界である。
死者と邂逅する場所とも言われる、この白浜で私はしばし独り佇んで、これまで今生の別れをした何人かの人びとに思いを致し瞑目した。
出口にヨモギアイスが売っているが、コレは美味いので是非賞味されたい。なお、お土産屋では、以前話題になった『恐山』というココの副住職が書いた新書が売っているので、実際にめぐった後に読むと実に感じ入るものがあるだろう。
途中から抹香臭い話になってしまったが、以上、スナック巡礼からの本当の巡礼の話。--恐山は人生のうちに一度は行く価値のある場所なので、機会を見つけて是非訪れられたい。ちなみに開山時期が1年のうちの半年ほどで、いわゆるイタコが居る期間も非常に限られているので、その点は留意されたい。最後に田名部スナック街のサービスショット。
以上。
第一期スナック研究会の記録
2015年10月から始動した「日本の夜の公共圏」研究会・・・通称「スナック研究会」は、さる2016年7月30日、無事に第一期の最終回を迎えました。お忙しい中、日程調整を含む諸々にご協力頂いた関係各位やゲストの皆様、そして毎回の会場をご提供頂いたお店の方々には心より感謝致します。
おおむね月例で開催された研究会の概要は下記の[記録]の通りですが、今後は2017年早々を目処に本研究会の成果を書籍として刊行すべく、各自による執筆活動へとフェイズを移行させてゆくこととなります。
成果物の公刊については既に引き受け出版社も決まっており、基本的に下記の各自の報告を原稿化したものに加え、外部からのゲストなども加えた形での座談会なども収録出来ればと考えている次第です。
なお、幸い、サントリー文化財団様からは、2016年8月以降に関しても、継続して研究助成を採択して頂くことになったので、今後は上記の成果物の編纂に加え、公開のものも含むゲリラ的?活動も展開したいと考えています。この点については、随時、スナ研サイトにてお知らせさせて頂きますので、引き続き乞御期待をば。
[第一期スナック研究会(2015から16年)の記録]
■ 第1回(10月24日)
「スナック研究事始め」(谷口功一・首都大学東京・教授・法哲学)
■ 第2回(11月21日)
「「夜の公共圏」と本居宣長」(高山大毅・駒澤大学・講師・漢文学/思想史)
■ 第3回(12月19日)
「近年のスナックの動向とスナックにまつわるデータ」(ゲスト講師:平本精龍様)
■ 第4回(01月26日)
「「社交」とスナックをめぐる雑感」(苅部直・東京大学・教授・日本政治思想史)
■ 第5回(02月20日)
「夜遊びの適正化と平成26年風営法改正」(亀井源太郎・慶應義塾大学・教授・刑法)
■ 第6回(04月30日)
「スナックと行政―規制対象としての実態と振興対象としての可能性」(伊藤正次・首都大学東京・教授・行政学)
「スナック・風適法に関する人権論からの一考察」(宍戸常寿・東京大学・教授・憲法学/情報法)
■ 第7回(06月18日)
「「会」の時代-あるべき社交の形をもとめて」(河野有理・首都大学東京・教授・日本政治思想史)
「日本の宴席と文化」(井田太郎・近畿大学・准教授・日本文学)
■ 第8回(07月30日)~第一期、最終回
「スナックの政治経済学—「夜の公共圏」の立地と機能」(荒井紀一郎・首都大学東京・准教授・政治学)
※ なお、以下の本研究会のサイトの方でも、研究体制等に関する情報提供を行っておりますので、そちらもご参照下さいませ。
今後もスナック研究会を宜しくお願い致します。
2016年8月1日
代表・谷口功一 記
第8回スナック研究会を開催しました(第一期最終回)
2016年7月30日、第一期スナック研究会の最後の研究会を開催しました。折しも土用の丑の日ということで、最終回のお弁当は鰻まぶし。美味しゅうございました。
当日の報告は以下の通り。今回は、白水社と新潮社の編集者の方にもオブザーバーとして、ご同席頂きました。
■ 荒井紀一郎:スナックの政治経済学-「夜の公共圏」の立地と機能-
第3回にゲスト講師として来て頂いた平本精龍様のご協力などによって得られた全国のスナック店舗の所在に関するローデータを元に、市区町村レベルでのスナックの分布データを用い、数字から見たスナックをめぐる諸々を科学的(統計学的)に解明しようとする、実にスリリングな報告でした。
市区町村ごとのスナック件数の全国での順位から始まり、1000人あたりのスナック件数と、総務省などが提供する様々な統計(数十個の変数群)との間の相関などについて、様々な分析結果が示されました。
圧巻は、NOAA(アメリカ海洋大気庁)が提供する人工衛星経由で得られた夜間光量平均データ(stable light)とスナックの分布をつきあわせた分析だったのですが、ここからは驚くべき知見が・・・(詳細は書籍化の際に)。
折しも東京都知事選・投票日前日に第一期スナ研最後の研究会と相成りましたが、先の東京オリンピックと共に生まれたと言われるスナック。--次の知事で臨むであろう2020年の東京オリンピックに向け、本研究会の活動を通じ、さらなるスナック文化の維持・発展に貢献してゆければ、誠に幸いです。
なお、既にお知らせの通り、本研究会はサントリー文化財団様より、2016年8月以降に関しても研究助成を御採択頂き、引き続き研究活動を継続することとなりましたが、この第二期の活動予定と、これまで行って来た第一期の研究活動の総括などについては、またエントリーを改めてお知らせしたいと思います。