スナック研究会

サントリー文化財団研究助成 「日本の夜の公共圏」

おくのふと道--三沢編

 奥州スナック紀行の第2回。今回は下北半島の付け根にある三沢市のスナック街について記し留めることとする。

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 青森県三沢市は、東を太平洋、西を小川原湖に挟まれ東西に細長く延びた形をしている人口4万人ほどの街だが、そこには更に1万人ほどの別腹?の人口が附属している--米軍基地である。

 先に紹介した、むつ市が大湊に軍港を抱えるのと同じように、三沢もまた軍都であり、かつては帝国海軍三澤航空基地、現在ではアメリカ空軍第35戦闘航空団の基地が市域の八分の一という広大な面積を占めている。滞在中に聞いた限りでは基地と住民との関係は良好であり、米軍によるなら世界中の米軍基地の中でもっとも地元住民と友好的な関係を築いている基地とのことである。実際、私が街中を歩いている際も、何度か基地のアメリカ人からほがらかに日本語で「こんにちは」と挨拶された(三沢大火の際に米軍が献身的に救助活動にあたったというのも好感情の一端をなしているとのこと)。

 市の地図上右上には原子力施設の他、巨大な国家石油備蓄基地が集積する六ヶ所村があるが、六ヶ所で働く原燃職員の多くも、三沢に居住して通勤していると聞く(他に取り立てて目立った産業の無いこの辺りでは、彼らは夜の街で羽振りが良い層だとも仄聞した)。ーー六ヶ所村にも行ったことがあるのだが、その話はまた別の機会に。

 余談だが、下北半島界隈は、この三沢も含めて軍事・原子力関係の施設の多いところで、以下のような本も出ている。 

ルポ 下北核半島――原発と基地と人々

ルポ 下北核半島――原発と基地と人々

 

   個人的には、斉藤単独名義での下記の方がオススメである。米軍基地と言えば沖縄のことばかり思い浮かぶが、北の反対側のココにもまた、基地は厳然と存在するのである。

在日米軍最前線 (新人物文庫)

在日米軍最前線 (新人物文庫)

 

  全くの余談ではあるが、この斉藤氏の著作としては、『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』をめぐる壮大な偽書捏造事件を扱った下記の本があるが、コレは本当に面白いので機会があれば是非、読むことをオススメする。 

偽書「東日流外三郡誌」事件 (新人物文庫 さ 1-1)

偽書「東日流外三郡誌」事件 (新人物文庫 さ 1-1)

 

  閑話休題--私は三沢を訪れるのは二回目なのだが、実はゼミの卒業生がこの街に帰郷して働いており、「むつ編」でも記した通り、青森の縁者のところを訪れるついでに、彼との旧交を温めに来ていたのだった。前回訪れた際は日中だけだったので、今回は満を持してホテルを取って探訪に臨んだ。

 8月末の昼下がり、三沢駅で元ゼミ生のK君と待ち合わせた私は、ご家族が基地で働いている彼の計らいで、まずは米軍基地の中を案内してもらったのだった。

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 基地のクラブで実にアメリカンな楽しい昼食を取ったあと、車で基地の中を案内して貰ったが、驚くほど広大な敷地だった。全ての公共機能を備えたひとつの独立した街である。

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 基地内には素晴らしいゴルフ場があり、小川原湖を望む最も良いロケーションには米軍のプライベート・ビーチもしつらえられていた。別世界である。

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 基地については色々と考えるところもあったが、今回の本筋はそちらではないので、再び本題へと戻ってスナックの話へ。--3時間近くも基地を案内して貰った私は一旦、K君と別れホテルにチェックインし、1時間ほど休憩したのち、まだ陽のあるうちに三沢の歓楽街である「中央町」(下地図・赤囲い部分)の方へと繰り出した。

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 中央町の飲食店が集まった地域は、下記の写真の後方へと拡がっているが、狭い面積の中に多くの店が建て込んだ体になっている。

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 むつの田名部と同様、三沢市も人口の割りには多くのスナックを抱える街であり、その店構えの多くは、たまらないノスタルジーをかきたてるものだった。しばし、その雄姿を堪能されたい。

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 いつも初めてのスナック街を訪れる時には、日中まだ陽のあるうちに最低でも1時間以上は界隈を歩き回るようにしている。だいたいスナック街のようなところは細く暗い路地が入り組んだようになっているので、事前にGoogleストリートビューなどで見たところで、その詳細は良く分からないし、とにもかくにも自分の足で歩いてみなければ、そこが本当のところ、どのような場所なのかは分からないからである。

 また、日中に歩くその他の利点としては、まだ、どの店も開店しておらず、客引きなども居ないので、行きつ戻りつしながら遠慮会釈なしに店の前に立って「ほぅ!」とか「ははぁ!」などと独りごちて、じっくりと店構えを賞翫したり、写真を撮ったりするのに好都合だから、というのもある(写真に関しては暗くなって看板が点灯するとネオンの光が映り込んで上手く店名が写らないから、というのもある)。

 こういう興味のない他人から見たらクダラないにもほどがある目的で、昼のひなかから見知らぬ街の森閑としたスナックの森をただひたすら、ウヘウヘしながら歩きめぐり、「あぁ、さっきのあの道はこっちと繋がってたか!」とか「おぉ、こんな味わい深い店が!」などとやっている以上の愉悦が存在するだろうか?--オマケにその後、陽が落ちてから実際に呑みに戻って来るのである。

 日が暮れると共に私は、ごきぶりのように密やかに夜のとばりの中へと這い出した。

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 K君に案内してもらった店は、彼の職場の集まりでよく使う店らしく、水商売の年季の入ったママが切り盛りする感じの良い店だった。

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 ボトルは入れなかったので、ショットで焼酎を呑ませてもらったが、六ヶ所村でつくっている「六趣」という珍しい酒とのことだった(美味かった)。

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 私とK君は、しばし旧交を温め、かつてのゼミ生たちの近況などを話しつつ、夜は更けて行った。その後、別の店を一軒一緒にはしごした後、彼と別れた私は夜の闇の中に沈み、最後にこの街の飲兵衛たちが夜の底で漂着する深夜レスト喫茶「ポルシェ」で夜食を摂ってから宿所に帰投したのだった。下記ご覧じられたい、落涙モノの味わいである。

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 以下はスナック云々を外れた余談であるが、翌朝起床した私は、電車の本数が極端に少なく時間もあるので、三沢の歓楽街以外の街中を、やはり無目的にてくてくてくてくと数時間、歩きまわった。

 本エントリーの冒頭では軍都軍都と武張った側面ばかりを強調し過ぎたが、実はこの街は寺山修司の叔父が経営する寺山食堂があった場所であり、寺山も一時期、空襲から逃れて青森市から疎開し、居住していたのだった。現在では、寺山の親族から寄贈された遺品などを展示する記念館も市内に存在するが、目抜き通りは寺山ロードと称され、彼にちなむ展示などを目にすることが出来る。

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 以下の写真は、寺山の実家のあった三沢駅前の風景だが、現在では寺山食堂跡地が交差点になってしまっている。かつてはこの駅前が中心部だったのだが、現在では基地側に中心が移動しており、駅のまわりは廃れ切っている。タクシーの運転士の「ここは駅のまわりから消えて行ってるんですよ」という言葉が耳に残った。

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 試しに本屋に入って寺山の本でも記念に買うか、と思ったところ、残念ながら折り悪かったのか、彼の本は一冊も置いておらず、代わりに大部の『防衛実務小六法』最新版が山積みになっているのを見て、一瞬、寺山に幻惑された夢うつつから現実へと引き戻されたのだった。やはり、ここは基地の街なのである。

防衛実務小六法〈平成26年版〉

防衛実務小六法〈平成26年版〉

 

 

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 青森では「三八上北」という地域の括りがあり、三沢・八戸・上北郡がそれに含まれるが、既に三沢と上北郡は訪れたことがあるので、残りひとつである八戸にも、来年あたり訪れ、そのスナック街を深奥まで探訪してみたいものである。

 

 最後に三沢市中央町スナック街のサービスショット。この店が最も味わいのある構えだった。店名は「そしある・魔洞無奈(マドンナ)」である。

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 以上。