玉袋筋太郎『粋な男たち』
玉袋筋太郎さんから半自伝的な著作『粋な男たち』をご恵贈頂き、早速拝読。
冒頭、やれ「自主規制」だ「コンプライアンス」だとグレーゾーンの許されない息苦しい世の中になったもんだと、ひとしきり嘆いたところで、
とブッ込んで来て、いきなり噴き出した・・・。
以前、私じしんがNHKのラジオ番組に出演した際、特に意識もせず「スナック界の先達として玉袋筋太郎さんも・・・」と、さらっとフルネームを口にしたのだが、出演後、「よくNHKがフルネームの放送を許したね・・・」と何人もの知り合いから言われて、「あっ、そうか汗」と気づいたのだったが、たけし師匠から命名されたこの名前で、ひとかたならぬ苦労をして来たことも、この本を読んで改めて分かったのだった(そして、この名前に対する愛着も)。
私は玉袋さんには2回しかお会いしたことが無いが、一度目は、私じしんが『日本の夜の公共圏 スナック研究序説』を出版した後、業界?の大先輩である玉袋さんのお店に一度はきちんと挨拶に行かないとならないなと思い、担当編集者と一緒に赤坂の「スナック玉ちゃん」にお邪魔した時だった。
その日は、何の予約も入れずに訪れたのだが、たまたまMXテレビの夜の番組(生放送)に玉袋さんが出演されていた日で、店内でその放送を見ていたら、番組終了後、「放送局からお店に来ます」となって、たまたま、お店でお会い出来たのだった。
初対面の玉袋さんは、実に腰の低い気遣いに溢れた方で、こちらのほうが恐縮してしまうほどだったのをよく覚えている。
二回目は、玉袋さんからのご招待で、「スナックナビ」のプレス向けのイベントに行った際だった(下記参照)。
【玉袋筋太郎の記者発表会で!】スナックナビ×全スナ連の日本最大級スナックポータルサイトが誕生! | スナックナビのブログ
この時は、フロアの観客?として見ていただけなので、直にお話することはなかったが、プロの芸人としての場の仕切りと、とにかくトークの力(当意即妙のその場でのやりとり)が凄すぎて、しゃべりを生業にしている人間というのは、これほどまでにスゴイものなのかと舌を巻きつつも感銘を受けたのを良く覚えている。
あ、そうそう、2回と書いたが、実はもう1回あって、渋谷の東京カルチャーカルチャーで開催された定期イベント「スナック玉ちゃん」にも行ったことがあったのだった。
実際にゆっくりとお話させて頂いたのは1回だけだったのだが、私の中の玉袋さんの印象は、上にも書いた通り、「腰の低い、気遣いの人」であり、直に対面して話している時だけでなく、イベントの際に来ているスナックのママたちへの言葉のかけ方の端々にもそれは現れていた。厳しめのツッコミを入れながらも、そこには愛があるのである。
今回この本を読んでわかったのは、このような印象を形づくるものの裏側に何があったのか、ということだった。その内容は、やや想像を超えたもので、僭越な言い方をするなら、これだけのコトがあったからこその今のこの人があるのか、と実に深い得心をしたのだった。詳しくは本書を紐解かれたい。
タイトルにもなっている「粋な男たち」は世間的には決して立身出世栄達をしたような人びとではない、市井で慎ましくも、ちらりと「粋」をのぞかせる男たちの話であり、それらの人びとを胸に「粋」であろうとし続ける玉袋さんの矜持には、深く共感するものがあり、私じしんもそのような人間でありたいと思い続けていることとも強く共振する内容だった。
以下は、一般向けの記述ではないので、読み飛ばして貰って結構だが、本書を読んで私が最初に思ったのは、「あぁ、これは高山(大毅)本の副読本、《接人》の実践書だ。」ということだった。
『日本の夜の公共圏』の第1章「スナックと「物のあはれを知る」説」の中に、その内容はコンパクトに分かりやすく描き出されているが、玉袋さんの「粋」のありようは、まさにココに描かれた「からごころ」を排した「まごころ」の世界なのである。
長くスナックをはじめとする夜の街を飲み歩いていると様々なひとに出会うが、スナックを縁として、このような人を知ることが出来、本当に良かったなと思い、本書を閉じたのだった。
蛇足だけど、私もナイター競輪好きで、夏になると50円の一般席でバンクの上に陣取り、オッサンたちの人生の涯てへと響き渡る魂の罵声を聴きながらビールを飲んで至福の時を過ごしています。