会津若松スナック行
昨年末、講演の仕事で、生まれて初めて会津若松を訪れた。主催は、会津若松商工会議所・観光旅客運送部会と県社交飲食業生活衛生同業組合会津支部のレディース部。
地元『福島民報』による以下の記事にもある通り、会津若松市内のスナックのママたちが夜の街の活性化をはかって立ち上げた部会による試みのひとつとして、お招き頂いたのだった。大河ドラマ「八重の桜」を観て以来、一度は行ってみたいと思っていた土地だった。
■ 日本一のスナック街に 若松のママ「レディース部会」設立
夜の繁華街を活気づけようと会津若松市のスナックのママたちが動きだした。県社交飲食業生活衛生同業組合会津支部にレディース部会を設立した。店の雰囲気やサービスを向上させ、「日本一のスナックの街」を目指す。
11月下旬、市内のスナックに出勤前のママが顔をそろえた。月1回の定例会だ。飲み物を注文し、つまみを口にする。一般客の目線で、訪問機会の少ない他店の装飾やスタッフの動き、サービスを見渡す。参考になる取り組みは自分の店に取り入れる。
情報交換も活発だ。集まったママのほとんどが10年以上のキャリアを持ち、これまでの経験を踏まえて、サービス向上や経営戦略などに知恵を出し合う。「市職員が今以上に飲み歩くように市長に要望したらどうか」などの声も上がる。
定例会の会場は輪番制になっている。約1時間の会合が終わると、飲食代を払い、店を後にする。開催した店は貴重な収入を得る仕組みになっている。
レディース部会は全国的に珍しく、八月に誕生した。来店者数が伸び悩む現状に危機感を抱いた有志が「夜の街を元気にするためにはスナックの活性化が欠かせない。各店のレベルを向上させよう」と働き掛けたのがきっかけだった。組合に加盟するスナック約130店のうち、12店で部会を始動した。
部会長の増田美起子さん(スナックみき)は「夜の地域活性化は一店だけが頑張っても限界がある。みんなで共通認識を持ちながら活動していきたい」と話す。今後は繁華街の清掃作業など社会貢献活動も検討していく。支部長の高野豊さん(ゑびす亭)は「ママたちの熱意が今後の若松の夜を盛り上げるはずだ」と期待している。
会員店は次の通り。かっこ内は営業者。
アゲイン(小林未花)香おる(浅川美子)胡遊(豊田満子)桜妓(佐藤友美)更沙(高橋泉)スカーレット(山下真理)なかがわ(中川英子)HANA・HANA(森和枝)パピヨン(茂木真美)heaven(渡部美幸)みき(増田美起子)魅羽(佐藤美和子)[福島民報・2017/12/03]
東京からは、新幹線でいったん郡山まで出て、そこから在来線の磐越西線に乗り換えることとなる。山あいの線路を走り、猪苗代湖にさしかかるあたりから眼前にひらける水田の大海原の向こうに鎮座する磐梯山の威容は、一見の価値あるものだった。歌詞などでしか知らなかった会津磐梯山だったが、そうかこれがそうなのか、歌にもなろうという名峰で、さぞ地元の人びとの心の拠り所になっているのだろうなと思ったのだった。田んぼの海はどこまでも続くが、1時間ほどで突然、会津若松の街並みが見えて来る。田の海に浮かぶ街だった。
会津若松駅につくと駅舎の中に「戊辰150年」と刷られたポスターを目にした。そう、ここでは「維新」ではなく「戊辰」なのだ。
講演会場は、会津若松駅から少し離れた馬場町・栄町の辺りだった。会場至近の当日の宿にチェックインし、講演の開始までしばらく時間があったので盛り場を歩きめぐったが、人口規模(12万強)からすると、かなり大きな歓楽街を擁しているという印象を持ったのだった。地元の方によるなら(恐らく人口あたりということだと思うのだが)バブル期くらいまでは全国で最も飲食店が多い場所だったらしい。
現時点での会津若松市内のスナックの軒数は174軒。総軒数・人口あたりの軒数に関しては、全市区町村中で以下のようなランキングになっている。かなりのスナックエリート都市である。
福島県自体もスナックが多く、県内の他の都市も中々の数のスナックを擁していることが分かるだろう(以下、核都市の数字は「総軒数/対人口」の順位)
講演はいつものように私が一時間ほど話をした後に、先述の商工会議所・観光旅客運送部会長の正野定見さん(実は会津駅長さん!)と、レディース部会長の増田美起子さん(スナックみき)との鼎談を三〇分ほど行った。隣に座られた増田さんが、びっしりと書き込みのある手書きのノートを見ながら話されていたが、先の記事にあったような経緯で催された会であったので、さぞかし前もって念入りに準備されたのであろうと思い、誠に頭の下がる思いがしたのだった。
当日は、実際に地元でスナックを経営されている方も多くいらっしゃっていたので、呑みに出るひとも少なくなりつつある地元の街で、どのようにスナックを中心に夜の街を盛り上げてゆくことが出来るか、といったことが議論された。
地方で講演をするたびにいつも思うのだが、私にとっては数ある講演のひとつであっても、手弁当で主催の労をとっている方たちにとっては、日常から離れた、たまさかの大切な会であるわけで、その点、こちらもその労に報いることが出来るよう、ささやかなりとも出来る限りのことをしたいものだと改めて思った。
講演会が終わった後は、参加者の方たちとの懇親会を経て、増田レディース部会長のお導きで、部会メンバーの方たちのお店を5軒、ご挨拶も兼ねて、はしごさせて頂いたのだった。さすがの私もひと晩で連続して一気に5軒を呑みめぐるというのは、そうそう無いことなので、最後のほうは、ややヘロヘロになってしまったのだが、こうして続けて色々なスナックを見てまわると、本当に一軒として同じ店はないのだな、ということをつくづく思い知るのだった。
最後は増田さんご自身が経営される「スナックみき」にお邪魔したが、このお店は実に綺麗なお店で、入り口で靴を脱いでスリッパに履き替えて入るという私にとっては初めての形態のスナックだった。寒い地方なので、絨毯の敷かれた店内は暖かく、これはイイなと思った次第。店内には、「あぁ俺はいま会津で呑んでいるのだな」と改めて思い起こさせるものも置かれていた。「ならぬことはならぬのです」。
今回の会津行で「会津の三泣き」という言葉を初めて知ったが、それは以下のような意味らしい。
会津人の性格を表す言葉があります。「会津に来たときはその閉鎖的な人間関係に泣き、なじんでくると人情の深さに泣き、去るときは会津人の人情が忘れ難く泣く」というもので、会津人の気質がよく表されています。会津に来られると、はじめはとっつきにくい印象を会津の人に対してお持ちになるかもしれません。でも、会津で暮らしていくうちに会津人のあたたかさに触れることができるはずです。(会津市役所サイトより)
たまさか講演のご依頼を頂き、ひと晩だけの滞在ではあったが、この「三泣き」という言葉、わたしには良く分かるような気がしたのだった。
以上。