スナック研究会

サントリー文化財団研究助成 「日本の夜の公共圏」

室蘭スナック行~北方大遠征(前篇)

 昨年(2017年)の夏、諸般の事情があって青森から小樽まで仕事で行くことがあったのだが、せっかくなので下北半島を北上し切って、大間の港から海路で函館まで行き、室蘭を経由して鉄路で小樽まで向かうことがあった。

 だいぶん時間が経ってしまったが、記憶のあるうちに備忘を兼ねてスナック紀行をまとめておく次第である。

 2017年8月、大湊線に乗車し、先ずは下北駅まで向かった。大間の港までは、下北駅から出ている下北交通のバスに乗り、1時間ほどだっただろうか。これまで、下北駅からバスなどで、むつ市の市街地や恐山までは行ったことがあったのだが、まさかり形の半島の「刃」の部分を縦断したことは無かった。

 途中、大畑停留所で休憩停車があったが、そこにはかつて存在した大畑線の列車を動態保存しており、運転日にあたっていたため、短い区間を往復する在りし日の大畑線を目にすることが出来たのだった。詳細は以下を参照されたいが、鉄道趣味のあるひとには中々良い場所かもしれない。

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大畑線キハ85動態保存会 | 国鉄型キハ22を動態保存しております。

 

 山道を縫ってゆくと、ある時ふいに海原が目に飛び込んで来る。陸奥湾とは違った明るい海の景色である。 

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 しばらく行くと、大間の港が姿を現す。小さなフェリー乗り場だが、お盆明けにも関わらず、多くのひとが乗船を待っていた。

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 大間から函館までの海路は爽快のひと言に尽きる。どこかの街に海から入るという、この感覚、他の交通手段では決して感じることの出来ない旅の醍醐味でさえある。

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 函館の港から函館駅まではタクシーでもすぐだった。下北駅も函館駅も、いずれも始終点の車止めのある駅で、終着点から始発点へという感じが何とも言えない。函館駅からは、一路、室蘭を目指した。途中、長万部を通過し、「ああ、ココが長万部なのか」と何となしに感慨深いものがあった。

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 特急が停車するのは東室蘭駅で、われわれがすぐに思い浮かぶだろう室蘭駅は、地図上の沖へと迫り出した半島部にあり、そこが大工業地帯の旧い市街を形成しているのだった。この室蘭行は、仕事の前泊で完全に自腹なのだが、函館-小樽間で、どこに泊まろうかと考えあぐねたあげく、以下の地形を地図で目にした際、「あ、ココしかないな」と思ったのだった。分かる人には分かってもらえるのではないか、と思う。

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 東室蘭駅のすぐ近くに宿を取った私は、旅装を解いて少し休んでから、遅めの盆の祭りをしている駅前の人混みを通り過ぎ、先ずは東室蘭駅の近くの盛り場を少し歩いた。住所的には川向こうの中島町という場所が盛り場になる。あいにく日曜だったため、ほとんどの店は休みだったのだが。

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 その後、再び、東室蘭駅に戻って電車に乗り、恐ろしいほど味のある車輌で、室蘭本線を一路、室蘭駅へと向かった。 

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 室蘭駅の手前にある母恋(ぼこい)駅は、たまらない旅愁をそそる駅名だった。日曜だったこともあり、到着して駅舎を出るとわたし以外、誰も歩いて居なかった。少し歩くと盛り場があり、店はほとんど閉まっていたが、老舗らしい味わいのある外観の居酒屋に入り、独りで食事をした。

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 この辺りでは、ヤキトリというと豚串であり、それに洋ガラシをつけて食べるのだった。日曜の夜の店内は客はそれなりには居るものの静かで、テレビでは大河『直虎』がやっており、小野但馬守政次が磔に処されているのを眺めながら、わたしはヤキトリなどをサッポロビール(ココは北海道)で流し込んだのだった。

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 いつも通り、独りでスナックの扉を開け中に入った。「じぱんぐ」という老舗である。かつての隆盛を極めて時代について実に色々な話を聞いた。大工業都市の興隆と衰退。考えてみれば、私が通っていた中高のあった大分市新日鉄などを中心とする巨大工業都市であり、その新日鉄つながりで、この室蘭とも縁深い場所だったのだ。遠い北の地で、思わぬつながりを再確認した夜だった。一時間少し、他の客も居なかったので、70代のママと二人だけでよもやま話をした。

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 二軒目は「りつ子」。今度は誰かお客さんとも話したいと思い、外までカラオケの音が漏れている店へ入った。案の定、隣に座ったお客さんと仲良くなり酒を酌み交わしながら、談笑することとなった。新日鉄などの関連で長崎から単身赴任している人だったと記憶している。

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 しかる後、上記の単身赴任氏と連れだって午前一時過ぎに三軒目に入り、その店のママも交えて飲み交わし、室蘭の夜は更けていったのだった(店名失念。あとで調べる)。既に記した通り、日曜だったこともあり、東室蘭室蘭いずれの夜の街も、その本来の姿を目にすることは出来なかったわけだが、静かながらも、味わい深い街だった。