スナック研究会

サントリー文化財団研究助成 「日本の夜の公共圏」

スナック論としての『人生の勝算』

 最近、ゼミの卒業生の西村創一朗さんから紹介されて前田裕二著の『人生の勝算』という本を読んだ。 

人生の勝算 (NewsPicks Book)

人生の勝算 (NewsPicks Book)

 

 1987年生まれの著者は、大学卒業後、外資系証券に入りニューヨークで活躍した後、ディー・エヌ・エーを経て現在、SHOWROOMという先端的なITサービスを提供する会社を経営するカリスマ的起業家であり、この本は著者自身の波乱に富んだ半生記の体裁も取っている。紹介されてすぐにkindleで2時間も掛からずに読了したが、読み物としても面白く、また、著者の人間的魅力も強く伝わって来る本だった。

 私が普段紹介するような本とは、およそ毛色の違う本であり、私じしんの親しい人たち(特に人文社会科学系の研究者や行政官)が手に取って読むことは、まずないだろうジャンルの本なのだが、既に述べた通り、掛け値無しに面白い本であり、また、この本は驚くべきことに「ビジネスコミュニティの真髄はスナックにあり!」と論じている本なので、以下、スナック研究の観点から、備忘を兼ねて書き記しておくことにしたい。

 この本の目次を見ると、いきなり驚くのだが、第1章「人は絆にお金を払う」の中に次のような項目が羅列してある。--「なぜスナックは潰れないのか」、「モノ消費からヒト消費へ--スナックの客は人との繋がりにお金を払う」、「AKBはスナック街である」、「コミュニティ作りがあらゆるビジネスの鍵になる」。

 

 私は最初、「え、スナック??!!」とひっくり返るくらい、驚いた。

 

 先に書いた通り、著者の人生は波乱に富んでおり、8歳で両親を亡くした後、ストリートで歌を歌っておひねりを貰っていたのがビジネスの原点なのだが、母親に連れて行って貰っていたというスナックでの思い出が、著者の原風景になっているのが伺える。例えば、以下の下り。

「母親によく連れてもらてちたスナックやカラオケで大人が歌っていたような昭和の歌謡曲が良いだろうと思いました。例えば、松田聖子テレサ・テン美空ひばり・・・吉幾三などの曲を練習して歌いました。」

 著者は、現在運営しているライブストリーミングサービス=SHOWROOMに関して、「コミュニティを築く上で大切な本質」は、実は「スナック」という意外なところに詰まっていたと言う。

 その上で、著者は「地方や下町の外れなどで営業しているスナック」が「どう見ても流行ってはいなさそうなのに、なかなか潰れない」でいて、15年とか20年も商いを続けていることが多々あるのは、何故なのか?--ということに思いを致し、以下のように言うのである。

「僕は地方出張に行くと、必ず現地のスナックを訪れます。その度に、「すべてのファンビジネスの根幹はスナックなのではないか」と思わされるような学びを得ます。家族の影響でもともとスナックは身近な存在でしたが、大人になってまた、スナックに潜む、永続するコミュニティの本質に気付かされています。」

 そこで先の目次にもあった問い「なぜスナックは潰れないのか?」へと至るのであった。--少し横路に逸れるが、統計的に見た場合、実はスナックは潰れている。わたし自身の手持ちのデータによるなら、2015年から2017年までの2年間での概数ではあるが、全国で2万軒以上のスナックが閉店している。ただ、これはココでの本筋とは別の問題なので、別途論じることにしたい。

 著者によるなら、単純な経営(財政)上の問題として、そもそもスナックが「潰れにくい」設計になっている業態なのである。つまり、「スナックは構造的にコストを最小限に抑制しながら売り上げをつくれるビジネスモデルになっている」と。少なからぬケースで、自宅を改装して営業している点で固定費としての家賃は抑えられ、また、従業員もミニマムである(ママ+α)。メニューも、薄めの酒に定番の乾き物があれば良い。ココでは「売り上げに掛かってくる変動費」も抑えられるワケである。従って、「ベースとして潰れるリスクの低い業態になっている」というのである。--以上の点に関してはスナックという業態に関して実はもう少し突っ込んだ議論が必要なのだが、おおむね間違っていないように思われる。

 ただ、「スナックが潰れにくい」という著者の主張を支えるのは、以上のようなドライな財政面上の事柄ではなく、「モノ消費からヒト消費へ」という「コミュニティビジネス」の側面こそが重要なポイントをなしているのである。

 著者によるなら、「スナックを訪れる客は酒や料理などの表層的なものを求めているのではない。つまり、目的が明確な「モノ消費」ではない」のである。

 著者は、「廃れゆく商店街の中で、スナックがなぜ最後まで潰れないのか」を問われた時、そこには2つの背景があると言う。

1)人がスナックに金を払う背景には「ヒト」が深く関わっている
2)「モノ」ではなく「ヒト」が消費理由になる場合、そこには「絆」という対価が生じているので、しょっとやそっとでは、その価値が消滅しにくい。

 「モノ消費」とは、「単純に機能的価値やコンテンツそのものを欲して対価を支払う」ものであり、景気や需要に大いに左右される。
 それに対して「スナック=ヒト消費」は、「より賞味期限が長く普遍的な、所属欲求や承認・自我欲求も満たされうる」ものなのである。

 著者によるなら、「ママの親身なアドバイスによって、つい人には言えない内面の弱さや悩みなども吐露してしまい、「本当のあるべき自分でいたい」といった自己実現欲求にまで消費裡由が昇華して」ゆくのである。

 このような意味での(ビジネス)コミュニティが形成される上での5つのエッセンスが存在し、これらは全て「スナックコミュニティ」という現象から抽象化されるというのが著者の核心的主張である。

1)余白の存在:ママは若くて綺麗な女性である必要はない。先に潰れても良いし、どこか頼り無くても良い。プロとしては粗だらけ。しかし、その未完成な感じが逆に共感を誘い、仲間をつくる。みんなでこのママを支えようという結束力が生まれ、コミュニティが強くなる。他の業態と比較した場合の、お客側からののエンゲージメントの調達の容易さ。

2)常連客の存在:空間をなるべく閉じられたものにすることによって、俺たちだけの場所といった所属欲求をかき立てている。

3)仮想敵をつくること:スナックでのトラブル。ママを責める常連客は、皆の敵になり、ママをみなで守ることで結束が強まる。

4)秘密やコンテクスト:トラブルのことは、他の客には言わないで我々の胸のうちだけに仕舞っておこうという共通認識やコンテクスト。

5)共通目的やベクトルを持つこと:お店のトラブルを解決するという目的に向かっていくことで「絆」が生まれる。

 

 以上を踏まえた上で、「AKBはスナック街である」と著者は言う。AKBでも仮想的=ライバルの存在が、それぞれのコミュニティの熱量を高めている、と。熱量の高いスナックがたくさん存在する、スナック街のようなグループがAKBなのだ、と。

 著者は30歳という若さにも関わらず「現役」のスナッカーであり、私のようにスナックについて色々と書き記す者にとっては、コレだけでも嬉しいことなのだが、彼自身の人生の原風景にスナックがあるということには、しみじみと感じ入るものさえあった。例えば、以下のような記述。

「5歳くらいで、遊び道具としての音楽と出会いました。韓国で歌手をしていた母と一緒に歌を歌って、歌う楽しさを覚えた。家族と一緒にスナックやカラオケで歌を歌うことが楽しみだった。デュオグループ「狩人」が歌う『あずさ2号』という直球ど真ん中の歌謡曲を兄と一緒に歌って親を喜ばせるのが、心から好きでした。」

 

 本書に関しては、冒頭の西村さんからご紹介頂いた後、西村さんが主宰する「朝渋」という早朝7時半から渋谷のイベントカフェで行われる、著者=前田氏とその編集者(幻冬舎・箕輪氏)が来て話す会にお招き頂き参加して、実際に著者が喋るのも聞いたが、実に魅力的な人物で、なおさらこの本の中で描き出された「スナック論」に説得力を感じたのだった。

asashibu33.peatix.com

 元ゼミ生づての縁で、とても良い本を知ることが出来、人生の奇縁を感じた週末だった(以上、念のため、スナック研究会代表の谷口功一による)。

 なお、蛇足ではあるが、本エントリーを読んでスナックに興味を持った方には、以下のスナック研究会による本もお手に取って頂ければ幸いである。 

日本の夜の公共圏:スナック研究序説

日本の夜の公共圏:スナック研究序説

 

 以上。