スナック研究会

サントリー文化財団研究助成 「日本の夜の公共圏」

おくのふと道--三沢編

 奥州スナック紀行の第2回。今回は下北半島の付け根にある三沢市のスナック街について記し留めることとする。

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 青森県三沢市は、東を太平洋、西を小川原湖に挟まれ東西に細長く延びた形をしている人口4万人ほどの街だが、そこには更に1万人ほどの別腹?の人口が附属している--米軍基地である。

 先に紹介した、むつ市が大湊に軍港を抱えるのと同じように、三沢もまた軍都であり、かつては帝国海軍三澤航空基地、現在ではアメリカ空軍第35戦闘航空団の基地が市域の八分の一という広大な面積を占めている。滞在中に聞いた限りでは基地と住民との関係は良好であり、米軍によるなら世界中の米軍基地の中でもっとも地元住民と友好的な関係を築いている基地とのことである。実際、私が街中を歩いている際も、何度か基地のアメリカ人からほがらかに日本語で「こんにちは」と挨拶された(三沢大火の際に米軍が献身的に救助活動にあたったというのも好感情の一端をなしているとのこと)。

 市の地図上右上には原子力施設の他、巨大な国家石油備蓄基地が集積する六ヶ所村があるが、六ヶ所で働く原燃職員の多くも、三沢に居住して通勤していると聞く(他に取り立てて目立った産業の無いこの辺りでは、彼らは夜の街で羽振りが良い層だとも仄聞した)。ーー六ヶ所村にも行ったことがあるのだが、その話はまた別の機会に。

 余談だが、下北半島界隈は、この三沢も含めて軍事・原子力関係の施設の多いところで、以下のような本も出ている。 

ルポ 下北核半島――原発と基地と人々

ルポ 下北核半島――原発と基地と人々

 

   個人的には、斉藤単独名義での下記の方がオススメである。米軍基地と言えば沖縄のことばかり思い浮かぶが、北の反対側のココにもまた、基地は厳然と存在するのである。

在日米軍最前線 (新人物文庫)

在日米軍最前線 (新人物文庫)

 

  全くの余談ではあるが、この斉藤氏の著作としては、『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』をめぐる壮大な偽書捏造事件を扱った下記の本があるが、コレは本当に面白いので機会があれば是非、読むことをオススメする。 

偽書「東日流外三郡誌」事件 (新人物文庫 さ 1-1)

偽書「東日流外三郡誌」事件 (新人物文庫 さ 1-1)

 

  閑話休題--私は三沢を訪れるのは二回目なのだが、実はゼミの卒業生がこの街に帰郷して働いており、「むつ編」でも記した通り、青森の縁者のところを訪れるついでに、彼との旧交を温めに来ていたのだった。前回訪れた際は日中だけだったので、今回は満を持してホテルを取って探訪に臨んだ。

 8月末の昼下がり、三沢駅で元ゼミ生のK君と待ち合わせた私は、ご家族が基地で働いている彼の計らいで、まずは米軍基地の中を案内してもらったのだった。

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 基地のクラブで実にアメリカンな楽しい昼食を取ったあと、車で基地の中を案内して貰ったが、驚くほど広大な敷地だった。全ての公共機能を備えたひとつの独立した街である。

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 基地内には素晴らしいゴルフ場があり、小川原湖を望む最も良いロケーションには米軍のプライベート・ビーチもしつらえられていた。別世界である。

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 基地については色々と考えるところもあったが、今回の本筋はそちらではないので、再び本題へと戻ってスナックの話へ。--3時間近くも基地を案内して貰った私は一旦、K君と別れホテルにチェックインし、1時間ほど休憩したのち、まだ陽のあるうちに三沢の歓楽街である「中央町」(下地図・赤囲い部分)の方へと繰り出した。

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 中央町の飲食店が集まった地域は、下記の写真の後方へと拡がっているが、狭い面積の中に多くの店が建て込んだ体になっている。

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 むつの田名部と同様、三沢市も人口の割りには多くのスナックを抱える街であり、その店構えの多くは、たまらないノスタルジーをかきたてるものだった。しばし、その雄姿を堪能されたい。

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 いつも初めてのスナック街を訪れる時には、日中まだ陽のあるうちに最低でも1時間以上は界隈を歩き回るようにしている。だいたいスナック街のようなところは細く暗い路地が入り組んだようになっているので、事前にGoogleストリートビューなどで見たところで、その詳細は良く分からないし、とにもかくにも自分の足で歩いてみなければ、そこが本当のところ、どのような場所なのかは分からないからである。

 また、日中に歩くその他の利点としては、まだ、どの店も開店しておらず、客引きなども居ないので、行きつ戻りつしながら遠慮会釈なしに店の前に立って「ほぅ!」とか「ははぁ!」などと独りごちて、じっくりと店構えを賞翫したり、写真を撮ったりするのに好都合だから、というのもある(写真に関しては暗くなって看板が点灯するとネオンの光が映り込んで上手く店名が写らないから、というのもある)。

 こういう興味のない他人から見たらクダラないにもほどがある目的で、昼のひなかから見知らぬ街の森閑としたスナックの森をただひたすら、ウヘウヘしながら歩きめぐり、「あぁ、さっきのあの道はこっちと繋がってたか!」とか「おぉ、こんな味わい深い店が!」などとやっている以上の愉悦が存在するだろうか?--オマケにその後、陽が落ちてから実際に呑みに戻って来るのである。

 日が暮れると共に私は、ごきぶりのように密やかに夜のとばりの中へと這い出した。

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 K君に案内してもらった店は、彼の職場の集まりでよく使う店らしく、水商売の年季の入ったママが切り盛りする感じの良い店だった。

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 ボトルは入れなかったので、ショットで焼酎を呑ませてもらったが、六ヶ所村でつくっている「六趣」という珍しい酒とのことだった(美味かった)。

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 私とK君は、しばし旧交を温め、かつてのゼミ生たちの近況などを話しつつ、夜は更けて行った。その後、別の店を一軒一緒にはしごした後、彼と別れた私は夜の闇の中に沈み、最後にこの街の飲兵衛たちが夜の底で漂着する深夜レスト喫茶「ポルシェ」で夜食を摂ってから宿所に帰投したのだった。下記ご覧じられたい、落涙モノの味わいである。

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 以下はスナック云々を外れた余談であるが、翌朝起床した私は、電車の本数が極端に少なく時間もあるので、三沢の歓楽街以外の街中を、やはり無目的にてくてくてくてくと数時間、歩きまわった。

 本エントリーの冒頭では軍都軍都と武張った側面ばかりを強調し過ぎたが、実はこの街は寺山修司の叔父が経営する寺山食堂があった場所であり、寺山も一時期、空襲から逃れて青森市から疎開し、居住していたのだった。現在では、寺山の親族から寄贈された遺品などを展示する記念館も市内に存在するが、目抜き通りは寺山ロードと称され、彼にちなむ展示などを目にすることが出来る。

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 以下の写真は、寺山の実家のあった三沢駅前の風景だが、現在では寺山食堂跡地が交差点になってしまっている。かつてはこの駅前が中心部だったのだが、現在では基地側に中心が移動しており、駅のまわりは廃れ切っている。タクシーの運転士の「ここは駅のまわりから消えて行ってるんですよ」という言葉が耳に残った。

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 試しに本屋に入って寺山の本でも記念に買うか、と思ったところ、残念ながら折り悪かったのか、彼の本は一冊も置いておらず、代わりに大部の『防衛実務小六法』最新版が山積みになっているのを見て、一瞬、寺山に幻惑された夢うつつから現実へと引き戻されたのだった。やはり、ここは基地の街なのである。

防衛実務小六法〈平成26年版〉

防衛実務小六法〈平成26年版〉

 

 

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 青森では「三八上北」という地域の括りがあり、三沢・八戸・上北郡がそれに含まれるが、既に三沢と上北郡は訪れたことがあるので、残りひとつである八戸にも、来年あたり訪れ、そのスナック街を深奥まで探訪してみたいものである。

 

 最後に三沢市中央町スナック街のサービスショット。この店が最も味わいのある構えだった。店名は「そしある・魔洞無奈(マドンナ)」である。

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 以上。

 

おくのふと道--下北半島・むつ編

下北半島は斧の形をしている。大間村から北海岬へかけての稜線が、その刃の部分である。斧は、津軽一帯に向けてふりあげられており、「今まさに頭を叩き割ろうとしてる」ように見えるのが青森県の地図である。しかし、惨劇はこれから始まろうとしてるのではない。すでに竜飛岬から鼻繰岬へかけての東津軽は、一撃を受け、割られたあとなのである。ーー寺山修司『わが故郷』

  この夏、長めに青森に滞在していたので、その際に訪れた幾つかの街について、スナックに絡めて記録を記し留めておく。青森には縁者がいるため、これまでも何度も訪れたことがあったのだが、ただ漫然と行くのも勿体ないので、今後は出来る限り記録を残したいと思う。f:id:Voyageur:20160829092123p:plain

 エントリーのタイトルは芭蕉奥州行をもじったものだが、いつか『おくのふと道-奥州スナック紀行』というタイトルで、芭蕉が辿ったままの経路を辿り、『おくのほそ道』及び『曾良旅日記』を参照しながらスナック紀行したものを本にしたい。現在執筆中のスナック本の刊行後にでも、改めて構想を練りたいものである。

 

 閑話休題ーーまずは、むつ市から。むつは、「まさかり」の形をした下北半島の刃の付け根辺りに中心部・歓楽街を擁する人口6万人弱の街である。

 1960年に「大湊田名部」市から現在の「むつ」市に名称を改めた日本初のひらがな名の市であり、急激な過疎化が進行する下北半島の中核的機能が集積した街でもある(2012年に放映されたNHK大河「平清盛」の主演男優・松山ケンイチの出身地でもある)。

 

 下北半島の過疎化と、むつへの都市機能の集積性などについては、首都大学東京の山下祐介先生による『限界集落の真実―過疎の村は消えるか? 』が、とても参考になる。 

限界集落の真実―過疎の村は消えるか? (ちくま新書)

限界集落の真実―過疎の村は消えるか? (ちくま新書)

 

  東京からは、新幹線で3時間ほどで八戸まで行き、そこから青い森鉄道に乗り換え野辺地まで1時間、さらに単線の大湊線に乗り換え最寄りの下北駅まで1時間の計5時間強である。

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 途中、まさかりの「柄」の部分からは素晴らしい陸奥湾の眺望を得ることが出来る。この海の色は独特である。

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 下北駅からむつの市街地中心部までは少し離れており(歩くのは無理)、バスかタクシー(1000円くらい)で行くのが吉だが、かつては下北駅から分岐して大畑まで通じる路線で中心部の田名部(駅)まで行くことが出来たそうである。現在では田名部駅は駅舎も解体され、跡地には交番が建っている。

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 なお、上記の駅舎跡地からすぐのところにある商店街には、未だに「駅前商店会」という名称が残っており、祭り提灯に留められた文字が往時を偲ばせる。

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  さて、本題のスナックであるが、この街は人口の割には信じられないほどの夜の飲食店が蝟集しており、以前初めて来た時にはひっくり返るくらい驚いたのだった。正確に何軒あるのかは分からないが、基本的に田名部神社を取り囲むように無数のスナックがひしめいており、「スナック門前町」とでもいうべき様相を呈している。

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 とにかく、これでもかというくらいにスナック、スナック、スナックなのである。

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 なぜ、この程度の人口でこれほどまでの歓楽街があるのかについては幾つかの理由が考えられるが、すぐに思い浮かぶのは、この街が至近に海上自衛隊の大湊基地を擁する軍事上の要衝である点が挙げられるのではないだろうか。

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 この歓楽街は田名部神社と反対側のほうに田名部川が流れるいる関係からか、用水路がそこかしこにあるのも風情がある。

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  以下が田名部川だが、川そばの歓楽街というのは実に趣きのあるものである。なお写真奥の山は釜臥山で、そのすぐ背後に恐山がある。

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 私が今回むつに行ったのが盆明けの平日だったこともあったのだろうが、日中の田名部の歓楽街は人っこ独り居ない森閑とした場所であり、誰もいないスナックの森のごとき場所を、真夏の晴天下に歩き回るのは不思議な心持ちだった。

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 あとで聞いた話だが、むつが今よりも栄えていた頃の様子を見ることの出来る映像記録として、『魚群の群れ』という映画があるとのことである。Amazonプライムにも入っているので、後で観てみたい。 

あの頃映画 「魚影の群れ」 [DVD]

あの頃映画 「魚影の群れ」 [DVD]

 

  実は今回のむつではスナックには行っていないのだが(数年前に一度ひとりで来て大湊駅近くに泊まり数軒をはしごしたことはある)、目的地が更に先の恐山にあったからなのだった。

 音に聞こえた霊場・恐山は、むつの市街地からバスで40分ほどの山中にある。下北駅からもバスは出ているが、今回は中心市街のバスターミナルから私は恐山に向かった。恐ろしいほど味のあるターミナルである。

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 ターミナルを出て恐山へと向かう道は冗談のように曲がりくねった深い山道で、途中、数多くの地蔵がまつられているのを観ることが出来る。車内放送では御詠歌が流れムードが高まる。寺山修司の映画『田園に死す』の中で流れるJ.A.シーザーの「こどもぼさつ」などを思い出せば良いかもしれない。


J・A・シーザー (J.A. Seazer) | こどもぼさつ | 1974

 深い山中を抜けると、突然視界が開け眼前には真っ青な水をたたえた宇曽利湖(うそりこ)が姿を現し、息を呑むだろう。

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 恐山そのものについては多くの書かれたものやウェブ上の訪問記もあるので、多くは記さないが、今回思い切って訪れて本当に良かったと思う。

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 百聞は一見にしかずなのであるが、これまで色々なところを旅したものの、こんな景色は観たことがない。

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 この日は先述の通り大祭も終わった盆明けの平日ということもあり、バスに乗ったのも私以外は、三沢基地から来たと思しきアメリカ人の子連れの家族3人と老人2人のみで、恐山をまわる間じゅう、ほとんど私ひとりで上記のような光景を目にすることとなった。寺門をくぐり本堂から賽の目河原のひろがる地獄のような丘場を抜けると、突如として先の湖の奥に広がる白浜に無数の風車がまわる光景は異世界である。

 死者と邂逅する場所とも言われる、この白浜で私はしばし独り佇んで、これまで今生の別れをした何人かの人びとに思いを致し瞑目した。

 

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 出口にヨモギアイスが売っているが、コレは美味いので是非賞味されたい。なお、お土産屋では、以前話題になった『恐山』というココの副住職が書いた新書が売っているので、実際にめぐった後に読むと実に感じ入るものがあるだろう。 

恐山: 死者のいる場所 (新潮新書)

恐山: 死者のいる場所 (新潮新書)

 

  途中から抹香臭い話になってしまったが、以上、スナック巡礼からの本当の巡礼の話。--恐山は人生のうちに一度は行く価値のある場所なので、機会を見つけて是非訪れられたい。ちなみに開山時期が1年のうちの半年ほどで、いわゆるイタコが居る期間も非常に限られているので、その点は留意されたい。最後に田名部スナック街のサービスショット。

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 以上。

第一期スナック研究会の記録

  2015年10月から始動した「日本の夜の公共圏」研究会・・・通称「スナック研究会」は、さる2016年7月30日、無事に第一期の最終回を迎えました。お忙しい中、日程調整を含む諸々にご協力頂いた関係各位やゲストの皆様、そして毎回の会場をご提供頂いたお店の方々には心より感謝致します。

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 おおむね月例で開催された研究会の概要は下記の[記録]の通りですが、今後は2017年早々を目処に本研究会の成果を書籍として刊行すべく、各自による執筆活動へとフェイズを移行させてゆくこととなります。

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 成果物の公刊については既に引き受け出版社も決まっており、基本的に下記の各自の報告を原稿化したものに加え、外部からのゲストなども加えた形での座談会なども収録出来ればと考えている次第です。

 なお、幸い、サントリー文化財団様からは、2016年8月以降に関しても、継続して研究助成を採択して頂くことになったので、今後は上記の成果物の編纂に加え、公開のものも含むゲリラ的?活動も展開したいと考えています。この点については、随時、スナ研サイトにてお知らせさせて頂きますので、引き続き乞御期待をば。

 

[第一期スナック研究会(2015から16年)の記録]

 

■ 第1回(10月24日)

スナック研究事始め」(谷口功一・首都大学東京・教授・法哲学

■ 第2回(11月21日)

「夜の公共圏」と本居宣長」(高山大毅・駒澤大学・講師・漢文学/思想史)

■ 第3回(12月19日)

近年のスナックの動向とスナックにまつわるデータ」(ゲスト講師:平本精龍様)

 参考:日本全国スナック情報検索サイト スナッカー

■ 第4回(01月26日)

「社交」とスナックをめぐる雑感」(苅部直東京大学・教授・日本政治思想史)

■ 第5回(02月20日)

夜遊びの適正化と平成26年風営法改正」(亀井源太郎・慶應義塾大学・教授・刑法)

■ 第6回(04月30日)

スナックと行政―規制対象としての実態と振興対象としての可能性」(伊藤正次・首都大学東京・教授・行政学

スナック・風適法に関する人権論からの一考察」(宍戸常寿・東京大学・教授・憲法学/情報法)

■ 第7回(06月18日)

「会」の時代-あるべき社交の形をもとめて」(河野有理・首都大学東京・教授・日本政治思想史)

日本の宴席と文化」(井田太郎・近畿大学・准教授・日本文学)

■ 第8回(07月30日)~第一期、最終回

スナックの政治経済学—「夜の公共圏」の立地と機能」(荒井紀一郎・首都大学東京・准教授・政治学)

 

 

※ なお、以下の本研究会のサイトの方でも、研究体制等に関する情報提供を行っておりますので、そちらもご参照下さいませ。

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  今後もスナック研究会を宜しくお願い致します。

 

 2016年8月1日

 代表・谷口功一 記

 

 

第8回スナック研究会を開催しました(第一期最終回)

  2016年7月30日、第一期スナック研究会の最後の研究会を開催しました。折しも土用の丑の日ということで、最終回のお弁当は鰻まぶし。美味しゅうございました。

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 当日の報告は以下の通り。今回は、白水社と新潮社の編集者の方にもオブザーバーとして、ご同席頂きました。

■ 荒井紀一郎:スナックの政治経済学-「夜の公共圏」の立地と機能-

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 第3回にゲスト講師として来て頂いた平本精龍様のご協力などによって得られた全国のスナック店舗の所在に関するローデータを元に、市区町村レベルでのスナックの分布データを用い、数字から見たスナックをめぐる諸々を科学的(統計学的)に解明しようとする、実にスリリングな報告でした。

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 市区町村ごとのスナック件数の全国での順位から始まり、1000人あたりのスナック件数と、総務省などが提供する様々な統計(数十個の変数群)との間の相関などについて、様々な分析結果が示されました。

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 圧巻は、NOAA(アメリカ海洋大気庁)が提供する人工衛星経由で得られた夜間光量平均データ(stable light)とスナックの分布をつきあわせた分析だったのですが、ここからは驚くべき知見が・・・(詳細は書籍化の際に)。

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 折しも東京都知事選・投票日前日に第一期スナ研最後の研究会と相成りましたが、先の東京オリンピックと共に生まれたと言われるスナック。--次の知事で臨むであろう2020年の東京オリンピックに向け、本研究会の活動を通じ、さらなるスナック文化の維持・発展に貢献してゆければ、誠に幸いです。

 なお、既にお知らせの通り、本研究会はサントリー文化財団様より、2016年8月以降に関しても研究助成を御採択頂き、引き続き研究活動を継続することとなりましたが、この第二期の活動予定と、これまで行って来た第一期の研究活動の総括などについては、またエントリーを改めてお知らせしたいと思います。

第7回スナック研究会を開催しました

 過日、第7回スナック研究会を開催しました。今回の報告は日本文学・美術史と日本政治思想史の観点からで、内容は以下の通り。いずれも当該分野においては第一線の研究者が専門の刀を存分にふるってスナック成立へと至る歴史に関し、快刀乱麻を断つかの如き議論を展開して下さいました。

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 毎回の研究会について、その内容を詳しくご紹介出来ず申し訳ないところではありますが、ひとえに何もかもが初めての試みであり、またその内容についても成果物の刊行までは一種の「営業上の秘密」であるところ、ご寛恕のほどを。ただ今回はお目見え的に、部分的に少しいつもよりはちょっとだけ詳しめの紹介をしておきます。


● 井田太郎(近畿大学・日本文学/美術史)「日本の酒宴と文化」

● 河野有理(首都大学東京・日本政治思想史)「あるべき社交のかたちを求めて--「会」の時代とその苦悩」

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 まず、井田報告では上古の「直会(なおらい)」から始まる年譜的考察の途中経過が説明され、「餓鬼草紙」その他さまざまな視覚資料なども用いた考察が行われました。後半はスナック前史としての所謂「カフェー」に関する充実した議論が行われ、一種の「赤線的混交」を経た後のスナックの“純化”?とも言える過程についての見通しも示されました。
 誰でもふらりと入れる場所としての「近代的百貨店」の萌芽(明治38年の三井呉服店の座売りから陳列販売への転換)とカフェーのような場の成立との相同性など、はっとするような話も。荷風の『断腸亭日常』も縦横に駆使され、法学部関係者にはお馴染みのカフェー丸玉女給事件も登場しました。

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 次に、河野報告では、冒頭ある映画の紹介がなされ、研究会の後にチェックしてみたところ「おおっ!」となりました。それはさておき、「会」なかんづく「二次会」に注目した議論にはハッとさせられました。スナック行くのはだいたい二次会ですものね。あと、神島二郎・・・。余りにも面白い話が多かったのではありますが、詳細は本研究会の成果物刊行の暁に。

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 今回も2つの報告後、活発な質疑応答が行われ、そのまま懇親会へと突入。いつも通り、夜が更けるまでスナック研究会は続いたのでした。

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 なお、次回7月中に本スナック研究会は一旦最終回を迎え、ひとまず研究分担メンバー全員による論集の刊行作業へとフェーズを移してゆくこととなります。

 

※ これはまた別途お知らせすべきことでもあるのですが、蛇足ながら・・・。最近、メールフォームを使用したテレビ局からの取材依頼などが少なからずあるところ、本会では「美人ママのいるスナックを紹介して欲しい」云々といった企画へのご協力は致しかねますので、ご依頼の際は「本会の趣旨」について、公式サイトをよくよくお読みの上でのご依頼をお願い出来れば幸いです。

第6回スナック研究会を開催しました

 過日、4月末に第6回スナック研究会を開催しました。今回の報告は行政学者と憲法学者の2人によるもので、内容は以下の通り。

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● 伊藤正次(首都大学東京行政学)「行政から見たスナック--夜の社交を仕切る規制の多元性」

● 宍戸常寿(東京大学憲法)「スナック・風適法憲法

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 前回の亀井報告(刑法の観点から)と合わせ、規制対象としてのスナックの多面性が明らかになる報告で、大変刺激的でした。規制上の所謂「遊興」概念に関する細かな議論など、さすが今回の報告者お二人によるもので、実に興味深いお話でした。

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 それにしても、スナックに対する行政側からの規制は実に多岐にわたる/多元的なもので、その点からも「スナック」自体の業態としての〈定義〉が困難である理由が改めて浮き彫りにもなった感もありました。保健所、警察署、消防署、税務署など、実にさまざまな行政機関との関わりが、実に良く整理された議論でもありました。

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  研究会のあとは、いつもの通り河岸を変えずに談論風発が引き続く、楽しい夜を過ごしたのでした。

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 なお、余談ではありますが、先月、本研究会主宰者の谷口が、郷里の地元紙・大分合同新聞から「大分県出身者で東京で活躍しているひと」を紹介する欄のインタビューを受け、紙面において当スナック研究会も大きく紹介されました。一面の半分という驚くほど大きな扱いで、有り難い限りです。

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 現在、別府は先の地震被災しており、このGW中も観光客が減ったりと、夜の街も大変なことになっていますが、現時点では地震もかなり収まって来ているようです。出身者としては大変こころを痛めているところで、一刻も早く事態が落ち着くことを祈ると共に、微力ながら、ふるさとの復興に何かお手伝い出来ないかと思うばかりです。

 

 当スナ研も残すところ2回。次回は、がらりと雰囲気を変えて、「歴史」の観点からスナックとは何かに迫ります。

 

 

第5回スナック研究会を開催しました

 2月某日、第5回スナック研究会を開催しました。今回の報告者は、慶應義塾大学の亀井源太郎先生。ご専門の刑法の観点から「夜遊びの適正化と平成26年風営法改正」という題目で、お話し頂きました。今回は、白水社の編集者・竹園公一朗さんにもご臨席頂きました。(主宰の谷口が当日になって著しい体調不良に陥り欠席だったため、以下は後日お送り頂いた当日の出席者の方からのメモによるご教示に拠ります。)

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 内容は、前史として風俗営業取締りの歴史的起源から始まり、風俗行政研究会などの議論も踏まえた上での、平成27年風営法改正などに及びました。

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 こぼれ話的なトピックとして、LEX/DB(判例データベース)を用いた「刑事事件にみるスナックの発祥」といった話題も上がり、いつも通りの活発な質疑応答が行われました。

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 冒頭に記した通り、今回で5回目の研究会となりますが、これまで月例で続けて来た本研究会、次回からは隔月で、4月・6月と開催し、7月下旬をもって、ひとまず最終回を迎える予定となっております。

 

 なお、上記とは別途、昨年12月に行われた第3回研究会について、全国スナック情報「スナッカー」様より、参加レポートを掲載して頂きました。第3回当日にもゲスト講演者としてお世話になった平本精龍様には改めて御礼を申し上げる次第です。ありがとうございます。

スナック研究会参加レポート|スナッカー

 

第4回スナック研究会を開催しました

 2016年1月中に、第4回研究会を開催しました。

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 今回の報告者は、苅部直先生。お題は「スナックと「社交」」で。いつも通り、小一時間ほどの報告のあと、活発な質疑応答が交わされました。

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 報告では、スナック(バー)が、草創期には所謂「不良の溜まり場」あるいは「ディスコ」的なものだったのでは?という話から始まり、庄司薫の『ぼくの大好きな青髭』(1977)や柳田國男、はたまたマイケル・イグナティエフまで、古今東西をまたにかけた興味深い議論が展開されました。

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 或る種の「スナック小説」としての『ぼくの大好きな青髭』という切り口は、とても面白かったのですが、この点については最近刊行された御厨貴・山岡龍一編『政治学へのいざない』(放送大学テキスト)の第6章~10章・苅部先生ご執筆部分に庄司薫の一連の作品についての言及があり、こちらも大変面白いので、ぜひ、どうぞ。書誌情報がウェブ上で出ないので、以下を参考までに。

放送大学 授業科目案内 政治学へのいざない('16)

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 当日は、たまたま研究会代表の谷口が誕生日だったこともあり、会場を提供して下さっているスナックの方から、お花やケーキなども頂いてしまい、恐縮でした(ありがとうございます)。

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 なお、同じく1月中に大阪のサントリー文化財団に参上して、本研究助成の中間報告を行い、報告後、せっかくなので北新地の盛り場をめぐって帰京したのでありました。

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 というわけで、今年もスナ研を宜しくお願い致します。

第3回スナック研究会を開催しました

 過日、都内某所スナックで第3回研究会を開催しました。今回は外部からのゲスト講師として、全国スナック情報サイト「スナッカー」を運営されている平本精龍さんをお招きし、「近年のスナックの動向とスナックにまつわるデータ」ということでお話し頂きました。

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 以下、「スナッカー」のサイト情報と平本さんへのインタビュー記事など、参考までに。わたし自身(代表・谷口)も、これまで当該サイトを利用し、初めての土地などでスナックを訪れる際の参考にさせて頂きましたが、とても良いサイトです。大変良心的な運営をされており、お客側・お店側のいずれの観点からもオススメのサイトですので、この年末の二次会などの際に、ご活用下さい。

 「スナッカー」で蓄積された極めて豊富なデータと共に、平本さんご自身の体験談も織り交ぜ、そもそも「スナックとは何か」という話から始まり、「スナック経営者の世代層」・「最近の傾向(ニュースナック)」・「客層」・「良い店の見分け方」・「スナックでの作法」・「スナックの価格帯」・「スナックの今後」・「サイト立ち上げの経緯」・「店名について」・「都道府県スナック店舗数」などなど実に多岐にわたるお話を頂き、活発な質疑も行われました。 

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 年内最後の研究会となりましたが、最後はカラオケでの締めということで。来年も宜しくお願い致します。

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第2回スナック研究会を開催しました

  11月下旬、第2回スナック研究会を都内某所のスナックで開催しました。今回の報告者は研究会メンバーの高山大毅さんで、お題は「「夜の公共圏」と本居宣長」。

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 大国学者宣長とスナックに何の関係が!?となるのが正常な反応ですが、宣長の「物のあはれ」を知る「人情」とそうでないものとの対比を通じて、スナック紳士のあり得べき姿に関して、実に興味深い報告と質疑応答が展開されました。・・・下の写真は谷口がインドネシア出張の際に買って来た当地のバティックを来て、ムスリムの伝統帽(peci)を被るメンバー。

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 『紫文要領』、『石上私淑言』、『不尽言』、『徒然草文段抄』、『風流志道軒伝』、『案内手本通人蔵』など、めくるめく古典世界の扉が開かれる夜でした。

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